
うちの犬が来たのは、息子が4歳の秋だった。
最初の3ヶ月くらいは正直、失敗だったかもって思ってた。息子はゴールデンレトリバーの子犬を見て「かわいい!」って叫んだけど、実際に一緒に暮らし始めたら怖がってばかりでさ。子犬が近づくだけで逃げる。尻尾を振って寄ってくるのに「ママ、来ないで!」って泣く。私が想像してた「子供とペットの微笑ましい光景」とはかけ離れてた。夫は「まあ、そのうち慣れるだろ」って言ってたけど、私は内心焦ってたんだよね。
ペットショップの店員さんは「お子さんの情操教育にもいいですよ」なんて言ってたけど、あれ嘘じゃん、って当時は思った。
転機が来たのは冬の朝。私が風邪で寝込んでて、夫も早朝出勤で家にいなかった日。リビングから変な音が聞こえて、熱でぼんやりした頭で起きていったら、息子が犬の水入れに一生懸命水を注いでたの。床はびしょ濡れ。でも息子の顔は真剣そのもので、「ハルくん、お水ないって言ってた」って。犬の名前はハル。言ってたって、吠えてただけなんだけど。
その日から何かが変わった気がする。息子は相変わらず犬に飛びつかれるのは嫌がってたけど、餌の時間になると自分から準備するようになった。私が「ハルのご飯、お願いできる?」って聞くと、「うん!」って張り切って台所に来る。ドッグフードの袋を開けるのに苦労してる姿が妙に頼もしくて、写真撮ろうとしたら「ママ、今忙しいから!」って怒られたっけ。
小学校に上がる頃には、息子とハルの関係は完全に対等になってた。いや、むしろ息子の方が上かも。「ハル、お座り」「待て」って命令してるし、ハルもちゃんと従う。怖がってた頃が嘘みたい。
面白いのは、息子が学校で嫌なことがあった日。
玄関開けた瞬間の顔でわかるんだよね、今日は何かあったなって。そういう日は決まって、ランドセル放り出してハルのところに行く。ハルの首に顔を埋めて、何か小声で話してる。私は聞こえないふりをして夕飯の準備してるけど、たぶん学校であったことを全部話してるんだと思う。ハルは黙って座ってて、時々息子の顔を舐める。それだけ。でもそれが息子には必要なんだろうな。
私が「今日どうだった?」って聞いても「別に」って返ってくるのに、犬には全部話すんだから、ちょっと複雑な気持ちにもなるけど。
去年の夏休み、息子が初めて一人で近所のスーパーにお使いに行った。本当は私も心配で後ろからついていこうと思ってたんだけど、出かける直前に宅配便が来て、気づいたら息子の姿が見えなくなってて。30分後、息子は汗だくで帰ってきた。頼んだ牛乳とトマトはちゃんと買えてた。でもレジ袋の中に、見覚えのないものが入ってて。犬用のおやつ。「ハルの分も買ってきた」って。自分のお小遣いで。
そのおやつ、たぶん「ワンワンビスケット」っていう安いやつだったと思うけど、息子がどれだけ悩んで選んだか想像したら、なんか胸がいっぱいになってさ。
今、息子は小学3年生。ハルは5歳。
朝は息子が起こしに行く。「ハル、朝だよー」って布団から引っ張り出すと、ハルは眠そうな顔で尻尾だけ振る。それから二人で庭に出て、ハルがトイレしてる間、息子はぼーっと空を見上げてる。その後ろ姿が、4歳の頃より随分大きくなったなって思う。
責任感とか優しさとか、そういう言葉で説明するのは簡単なんだけど、実際に目の前で起きてることはもっと複雑で、もっと自然で。息子はハルの世話をしてるつもりかもしれないけど、私から見たら、ハルが息子に何かを教えてるようにも見える。言葉にならない何かを。
最近、息子が「ハルが死んだらどうなるの?」って聞いてきた。答えに困って「ずっと先の話だよ」ってごまかしたけど、息子はもう犬の寿命が人間より短いことを知ってるんだろうな。その質問をした後、いつもより長くハルを撫でてた。
ペットと暮らすって、こういうことなのかもしれない。綺麗事じゃなくて、毎日の小さな積み重ねで、気づいたら子供が変わってる。教育とか成長とか、大げさな言葉を使わなくても、ただそこに犬がいて、子供がいて、それだけで何かが回ってる感じ。
今日も息子は学校から帰ったら、真っ先にハルに「ただいま」って言うんだろうな。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI


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