ペットが教えてくれた、帰る場所の意味

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一人暮らしを始めて三年目の秋、私は毎晩のように帰宅時刻が遅くなっていた。十月の終わり、駅から自宅までの道のりを歩きながら、街路樹の葉が風に揺れる音を聞いていると、ふと気づく。今日も誰も待っていない部屋に帰るのだと。そんな日々が続いていたある週末、ふらりと立ち寄ったペットショップで、私は一匹の猫と目が合った。

その猫は、ガラス越しに私をじっと見つめていた。茶色と白のまだら模様で、左耳だけ少し折れている。店員さんに聞くと、生後四ヶ月ほどで、引き取り手がなかなか現れないのだという。理由は特にない。ただ、他の子猫たちのように愛嬌を振りまくタイプではなく、控えめな性格だからかもしれないと、店員さんは笑いながら言った。私はその日、特に深く考えることもなく、その猫を家に連れて帰ることにした。名前は「トロ」にした。理由は特にない。ただ、なんとなくそう呼びたくなったのだ。

それから数ヶ月が経ち、冬になった。会社から帰ると、玄関の前で必ずトロが待っている。ドアを開ける前から、中で小さく鳴く声が聞こえる。鍵を回す音に反応しているのだろう。ドアを開けると、トロは一度だけ「にゃあ」と鳴いて、それから私の足元をすり抜けて部屋の奥へと歩いていく。まるで「遅かったじゃないか」と言っているようで、その後ろ姿を見るたびに、私は少しだけ笑ってしまう。

ある日、珍しく定時で帰宅できた夕方のこと。いつもより早い時間に鍵を開けると、トロは玄関ではなく、リビングのソファの上でうとうとしていた。私が部屋に入っても気づかず、小さく寝息を立てている。そっと近づいて撫でようとしたら、トロは驚いたように目を開けて、一瞬固まった後、慌てて玄関の方へ走っていった。そして何事もなかったかのように、玄関マットの上に座り直して、私を見上げた。まるで「ちゃんと待ってたよ」とでも言いたげな顔で。その健気な姿に、私は思わず吹き出してしまった。

トロとの生活は、私に小さなリズムを与えてくれた。朝は六時半に起きて、トロにご飯をあげる。夜は遅くなっても、必ず帰る場所がある。週末には、近所のインテリアショップ「ルーナベルデ」で見つけた猫用のクッションをトロに試してもらったり、窓辺に置いた観葉植物の葉をトロがかじらないように見張ったりする。何気ない日常だけれど、誰かと暮らすということは、こういうことなのかもしれない。

冬の夜、仕事で疲れて帰ると、部屋の中は静かで暗い。けれど、電気をつけた瞬間、トロが小さく伸びをして、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。その足音は、フローリングの上でほとんど聞こえないくらい軽い。私はコートを脱ぎ、バッグを置いて、トロを抱き上げる。温かい。その温もりが、一日の疲れを少しだけ和らげてくれる。

子どもの頃、実家では犬を飼っていた。学校から帰ると、いつも玄関で尻尾を振って迎えてくれた。あの頃は、それが当たり前だと思っていた。けれど、一人暮らしを始めてから、誰かが帰りを待っていてくれることの有難さを、改めて感じるようになった。トロは犬のように派手に喜びを表現しない。ただ、静かにそこにいて、私が帰ってくるのを待っている。それだけで、十分だった。

ペットとの生活は、決して楽なものではない。毎日の世話があり、病気になれば病院に連れて行かなければならない。旅行に行くときも、誰かに預けるか、一緒に連れて行くかを考えなければならない。それでも、トロがいることで、私の生活には確かな「楽しみ」が生まれた。朝、目を覚ますと、トロが枕元で丸くなっている。夜、ソファに座ると、トロが膝の上に乗ってくる。そんな小さな瞬間が、私にとってかけがえのないものになっている。

春が近づくある日、窓を少しだけ開けると、外から土の匂いが流れ込んできた。トロは窓辺に座り、外を眺めている。風に揺れるカーテンの裾を、時々前足で軽く叩きながら。私はその隣に座り、同じように外を眺めた。夕暮れの空は、オレンジ色に染まり始めている。トロが小さく鳴いた。何を言っているのかはわからない。けれど、その声が、私には「ありがとう」と聞こえた気がした。

会社から帰ると、ペットが待ってくれている。それは、ただそれだけのことかもしれない。けれど、その「ただそれだけ」が、私の毎日を支えてくれている。一人暮らしの部屋は、もう寂しくない。トロがいるから。そして、トロがいることで、私はようやく「帰る場所」を持つことができたのだと思う。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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