
うちの犬が娘の足の裏を舐めたとき、娘は初めて声を出して笑った。
生後8ヶ月だった娘は、それまでニコニコはするけど声を出して笑うことがなくて、私も夫も「そのうち笑うだろう」くらいに思ってたんだけど。柴犬のハルが、這いつくばってる娘の足をペロペロ舐めた瞬間、「キャハッ」って。あの声、今でも耳に残ってる。ハルの舌のざらっとした感触が、くすぐったかったんだろうね。
それから娘は、ハルを見つけるたびに手を伸ばすようになった。最初はただ触りたいだけだったのが、だんだん「やさしく」を覚えていく。生き物って、力加減を教えてくれるんだよね。ぬいぐるみは何度叩いても文句言わないけど、ハルは嫌なときちゃんと離れていく。娘が強く掴みすぎたとき、ハルがクンクン鳴いて逃げた。娘は泣きそうな顔で私を見上げて、それから自分の手を見つめてた。2歳になる前の話。
そういえば、私が子供の頃に飼ってた猫のミーコは、私が風邪で寝込んでるときずっと布団の上にいたっけ。あれ、重くて暑かったんだよな…。
子供とペットの距離感って、大人が思ってるより繊細だと思う。娘が4歳のとき、保育園で嫌なことがあったらしくて、帰ってきてからずっと黙ってハルの背中を撫でてた。私が「どうしたの?」って聞いても何も言わなかったけど、ハルの毛に顔を埋めて、小さな声で何か話してた。聞こえなかったけど、聞かなくてよかったんだと思う。ハルは尻尾をゆっくり振りながら、じっとしてた。あの犬、本当に空気読むんだよね。
夕方の散歩に娘も一緒に行くようになったのは、5歳の秋だった。リードを持ちたがって、最初は私が手を添えてたんだけど、ハルが急に走り出したとき娘は転んだ。膝を擦りむいて、リードを離して。ハルは数メートル先で立ち止まって、こっちを振り返ってた。娘は泣きながら「ハル、ごめんね」って。違うでしょ、痛かったのあなたでしょ、って思ったけど、娘にとってはリードを離したことが申し訳なかったらしい。その感覚、教科書には載ってない。
小学校に上がってから、娘は「ハルのお世話係」を自称するようになった。朝の水替え、ブラッシング、散歩の後の足拭き。全部完璧にできるわけじゃないけど、やろうとする。忘れる日もあるし、適当な日もある。でも、ハルが水入れの前で待ってると、宿題の途中でも立ち上がる。
ペットって、責任感を教える教材じゃないと思うんだよね。一緒に暮らしてると、自然に「この子のために」って気持ちが育つ。強制されたわけじゃなく、誰かに褒められたいわけでもなく。ただ、ハルが喜ぶ顔が見たいから、娘は動く。その動機の純粋さが、たまらなく眩しい。
近所のドッグカフェ「わんわんテラス」に娘と行ったとき、他の犬が怖がる子供を見た。泣いて、お母さんの後ろに隠れて。娘は不思議そうに「なんで怖いの?」って聞いてきた。ハルと暮らしてる娘には、犬が怖い感覚がわからないらしい。それって、すごく豊かなことだと思う。怖がらなくていいってことじゃなくて、怖くないものを知ってるってこと。
最近、娘は学校で飼ってるウサギの世話係に立候補したらしい。「だって、ハルのお世話できるもん」って。自信の根拠がペットとの暮らしにあるって、なんか嬉しかった。
ハルはもう9歳で、娘より長く我が家にいる。最近は散歩の途中で座り込むことも増えて、娘が心配そうに覗き込む。「おじいちゃんだもんね」って、ハルの頭を撫でる手つきが、昔より丁寧になった気がする。
ペットと子供のふれあいって、計画してできるもんじゃないんだよな。毎日の中に、ふとした瞬間に、勝手に生まれてくる。それが積み重なって、娘の中に何かが育ってる。それが何なのか、まだ私にもわからないけど。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI


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