ペットと一緒に大きくなるって、こういうことだったんだ

Uncategorized

Uploaded Image

娘が犬の耳を引っ張って泣かれた日のこと、今でも覚えてる。

あれは確か3歳になったばかりの春先で、うちに来たばかりの柴犬のムギがまだ子犬だった頃。娘の手加減なんてものは存在しなくて、ぬいぐるみと同じ感覚でムギの耳をぎゅっと掴んだ瞬間、キャンって悲鳴が響いた。私は慌てて駆け寄ったんだけど、娘のほうが先に泣き出してしまって。痛い思いをさせたのはムギなのに、なぜか娘のほうがショックを受けていて、「ムギちゃん、ごめんね、ごめんね」って何度も繰り返してた。その日から娘は犬に触るとき、必ず「やさしく、やさしくね」って自分に言い聞かせるようになった。

最初は正直、ペットなんて飼う余裕あるのかなって思ってたんだよね。子育てだけでいっぱいいっぱいなのに、さらに犬の世話まで増えるなんて。夫が「情操教育にいいらしいよ」とか言い出したときは、それってただの言い訳じゃないのって内心思ってた。でも実際に暮らし始めてみると、想像してたのとは全然違う景色が広がっていった。

娘はムギの散歩当番を自分から申し出るようになって、最初は私が一緒についていかないとダメだったのが、小学校に上がる頃には一人で近所を回れるようになった。リードの持ち方、信号での待ち方、他の犬とすれ違うときの距離感。そういうの全部、ムギが教えてくれたようなものだと思う。私が口で言っても聞かなかったことを、ムギは無言で伝えてくれた。

ちなみに私、子供の頃に金魚しか飼ったことなくて。それも夏祭りですくってきたやつで、3日で全滅させた経験しかない。だから犬の飼い方なんて本当に手探りで、最初の頃はペットショップの店員さんに毎週のように電話してた気がする。「うんちの色がいつもと違うんですけど」とか「ご飯食べないんですけど大丈夫ですか」とか。今思えば、娘と一緒に私も育ててもらってたのかもしれない。

夏の夕方、窓を開けておくとムギの息づかいと娘の笑い声が混ざって聞こえてくる時間がある。二人で庭を走り回って、汗と土の匂いをまとって帰ってくる。娘の膝には擦り傷、ムギの足には泥。洗うのは大変だけど、あの二人の表情を見ると文句も言えなくなる。

小学3年生になった今、娘はムギの体調管理表みたいなものをノートにつけ始めた。誰に言われたわけでもなく、自分で思いついてやってる。「今日は散歩で3回おしっこした」とか「ごはん完食、おかわり要求あり」とか、几帳面に記録してる。字は相変わらず汚いけど、その姿勢には頭が下がる思いがする。責任を持つってこういうことなんだって、ムギが背中で教えてくれてるんだろうな。

友達が遊びに来たとき、娘はムギの紹介をするのがちょっとした自慢らしい。「うちのムギね、お手もお座りもできるし、名前呼んだらちゃんと来るんだよ」って。実際はそんなに賢いわけじゃないんだけど、娘の目にはムギが世界一の犬に見えてるんだと思う。そういう無条件の信頼関係って、人間同士だとなかなか難しいよね。

最近、娘が学校で何かあったとき、ムギに話しかけてる場面をよく見かける。

私には言わないことも、ムギには話してる。犬は口答えしないし、否定もしない。ただそこにいて、時々尻尾を振って、娘の手を舐める。それだけで娘の表情が柔らかくなっていくのが分かる。カウンセラーみたいなものかもしれない、このちっちゃな柴犬は。

ペットと暮らすって、世話が増えるとか大変だとか、そういう計算じゃ測れない何かがあるんだと今は思う。娘とムギが一緒にソファで昼寝してる姿を見ると、ああこれでよかったんだなって素直に思える。二人とも大きくなって、いつかムギとの別れが来る日のことを考えると胸が痛むけど、それもまた娘が学ぶべきことなのかもしれない。

まあ、そんな先のことより今日の夕飯どうしようかな。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

コメント

タイトルとURLをコピーしました