ペットと家族が紡ぐ、いつもの朝のかけがえのない時間

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朝の光がリビングのカーテン越しに差し込む頃、我が家ではいつも決まった順番で一日が始まる。まず最初に目を覚ますのは、飼い猫のムギだ。次に父が起き、母が台所へ向かい、最後に私と妹が起きる。十一月の冷え込みが厳しくなってきたこの時期は、布団から出るのが一層つらくなるけれど、ムギの小さな肉球が頬をぽんぽんと叩く感触で目を覚ますと、不思議と嫌な気持ちにはならない。

ムギが我が家にやってきたのは三年前の春だった。保護猫の譲渡会で出会ったとき、ケージの隅で丸まっていた小さな茶トラの子猫は、私たち家族の視線に気づくと、ゆっくりと顔を上げた。その瞬間、妹が「この子がいい」と言い、父も母も静かにうなずいた。家族全員の意見が一致することなど滅多にないのに、あのときだけは誰も迷わなかった。

ペットとの生活が始まると、家族の会話が自然と増えた。夕食のテーブルで「今日ムギがね」という話題が出ない日はほとんどない。妹は学校であったことよりも先にムギの話をするし、父は仕事の愚痴を言う前にムギの寝顔の写真を見せてくる。母に至っては、ムギ専用のインスタグラムアカウントまで作ってしまった。フォロワーは二十人ほどだが、母は毎日せっせと更新している。

ある週末の午後、家族全員がリビングに集まっていた。私はソファで本を読み、妹はタブレットで動画を見て、父は新聞を広げ、母は編み物をしていた。それぞれが別々のことをしているようでいて、実は全員がムギの動きを目で追っていた。ムギはリビングの中央に置かれたキャットタワー「フェリシモ・ネコ部」シリーズの最上段で、気持ちよさそうに昼寝をしている。その寝顔があまりにも平和そうで、誰も声を出さずにいた。静かな時間が流れていた。

そんな穏やかな空気を破ったのは、父のくしゃみだった。それも盛大な、家中に響き渡るような大きなくしゃみ。驚いたムギは飛び起き、慌ててキャットタワーから飛び降りようとしたのだが、寝ぼけていたせいか着地に失敗し、用意していた水入れに前足を突っ込んでしまった。濡れた足を必死に振りながら逃げていくムギの後ろ姿に、家族全員が笑いをこらえきれず、リビングには温かい笑い声が広がった。父は「ごめん、ごめん」と言いながら苦笑いしていた。

ペットがいると、季節の移り変わりにも敏感になる。夏には冷房の効いた部屋で床にべったりと寝そべり、冬にはこたつの中に潜り込んで出てこなくなる。春には窓辺で外を眺める時間が増え、秋には落ち葉が舞う庭を不思議そうに見つめている。ムギの行動を通して、私たちは四季の訪れを感じるようになった。

子どもの頃、私は犬を飼いたいとずっと思っていた。友達の家に遊びに行くたび、玄関で尻尾を振って迎えてくれる犬が羨ましかった。けれど我が家は集合住宅で、当時はペット禁止だった。だから大人になって一軒家に引っ越したとき、真っ先に考えたのがペットを迎えることだった。結局、猫になったのは家族会議の結果だが、今ではこの選択が最良だったと心から思う。

朝食の準備をする母の足元には、必ずムギがいる。何かもらえるのではないかと期待しているのだろう。母は「ダメよ」と言いながらも、時々小さなかつお節を指先に乗せて差し出す。その瞬間のムギの目の輝きといったら。小さな幸せが積み重なって、我が家の日常ができている。

夜、家族がそれぞれの部屋に戻る時間になると、ムギは必ず私の部屋についてくる。ベッドの足元に丸くなり、喉を鳴らしながら眠りにつく。その重みと温もりが、一日の終わりを教えてくれる。窓の外からは虫の声が聞こえ、カーテンが夜風に揺れている。

ペットとの生活は、特別なイベントの連続ではない。むしろ、何でもない日常の繰り返しだ。でもその繰り返しの中に、家族が笑い合える瞬間がたくさんある。朝のムギの肉球の感触、昼間のひなたぼっこの姿、夜の添い寝の温もり。すべてがかけがえのない時間として、私たちの記憶に刻まれていく。

家族とペットが一緒に過ごす時間は、言葉にするとありふれたものかもしれない。けれど、その瞬間瞬間は二度と戻らない、たった一度きりのものだ。ムギの寝顔を見ながら、私はそんなことを考える。この小さな命が家族に加わってから、我が家の空気は確実に変わった。温かく、柔らかく、そして少しだけ賑やかになった。それが、ペットと暮らすということなのだろう。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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