
春先の午後、リビングの窓から差し込む光が床に長方形を描いていた。その光の中で、娘の陽菜が膝を抱えて座り込み、茶色い毛並みのゴールデンレトリバー、ルナの首筋をそっと撫でている。二歳だった陽菜が初めてルナに触れたとき、あまりの柔らかさに驚いて手を引っ込めたことを思い出す。あれから五年が経ち、今では陽菜の細い指がルナの耳の後ろを器用に掻いてやれるまでになった。
ペットとの生活は、予想していたよりもずっと複雑で、ずっと豊かだった。朝、誰よりも早く目を覚ますのはルナだ。尻尾を振りながら寝室のドアをカリカリと引っ掻く音が聞こえると、次に起きるのは決まって陽菜だった。まだ眠そうな顔で階段を降りてきて、ルナの頭を抱きしめる。犬の体温は人間よりも高い。その温かさが、まだ肌寒い朝の空気の中でひときわ際立つ。
子供の成長は、大人が思うよりも静かに進んでいく。気づけば、陽菜はルナの散歩を一人で行けるようになっていた。最初の頃は、リードを握る手が震えていたし、ルナが急に走り出すと引きずられそうになって悲鳴を上げていた。けれど今では、公園の入り口で立ち止まり、周囲を確認してからリードを緩める余裕さえ見せる。そんな姿を見ていると、ルナが陽菜に教えたことの多さに驚かされる。
ある夏の夕暮れ、陽菜が学校から帰ってくると、ルナが玄関で待っていた。いつもなら飛びつくように迎えるのに、その日のルナは少し元気がなかった。陽菜はすぐに気づいた。ランドセルを放り出して、ルナの額に手を当てる。「熱いかも」と小さな声で呟き、私の方を振り返った。その表情には、心配と責任感が混ざり合っていた。すぐに動物病院へ連れて行ったが、診察の間、陽菜はずっとルナの背中に手を置いていた。結局、軽い夏バテだったのだが、その日を境に陽菜は毎朝ルナの水入れを確認するようになった。
ふれあいの中で育まれるものは、言葉では言い尽くせない。冬のある日、陽菜が風邪で寝込んだとき、ルナは一日中ベッドの横で丸くなっていた。私が「ルナ、ご飯だよ」と呼んでも、首だけこちらに向けて、また陽菜の方へ顔を戻す。まるで見張り番のように、じっと動かなかった。陽菜が目を覚ますと、ルナの鼻先が自分の頬に触れていることに気づいて、小さく笑った。その笑顔を見て、私は改めて思った。この子たちは、言葉を超えた何かで繋がっているのだと。
日常の些細な瞬間にこそ、成長の証は隠れている。陽菜が作文の宿題でルナのことを書いたとき、「ルナは私の妹みたいです」という一文があった。先生からは「ペットは家族の一員ですね」とコメントが添えられていた。けれど陽菜にとって、ルナはもっと特別な存在なのかもしれない。喧嘩もしないし、言い返してもこないけれど、確かにそこにいて、いつも自分を見ていてくれる存在。
秋の夜、リビングでテレビを見ていたとき、陽菜がルナに絵本を読み聞かせている姿を見かけた。ルナが内容を理解しているわけではないだろうが、陽菜の声のトーンに合わせて尻尾を揺らしている。途中、陽菜がページをめくり損ねて絵本を床に落としてしまい、ルナが驚いて立ち上がった。「ごめんね、ルナ」と慌てて拾い上げる陽菜の姿に、私は思わず微笑んだ。そんな小さな失敗も、二人の間では何でもないことのように思えた。
ペットと暮らすということは、責任を背負うことでもある。餌やり、散歩、ブラッシング。毎日同じことの繰り返しだ。けれど陽菜は、それを義務だとは思っていないようだった。むしろ、ルナのために何かをすることが、自分の一日に意味を与えてくれているように見えた。朝、ルナの餌を用意しながら「今日は何して遊ぼうかな」と独り言を言う陽菜の横顔は、確かに幼い頃よりも大人びていた。
最近、陽菜は友達に「ルナがいてよかったこと」を聞かれたらしい。帰宅後、私にその話をしてくれた。「何て答えたの?」と尋ねると、陽菜は少し考えてから「いつも一緒にいてくれるから、寂しくないって言った」と答えた。シンプルだけれど、それが全てなのかもしれない。
窓の外では、季節がまた巡ろうとしている。春になれば、ルナも陽菜も、また一つ年を重ねる。その速度は違うけれど、二人が一緒に過ごす時間は、確実に何かを積み重ねている。それは目に見えるものではないけれど、陽菜の優しい眼差しや、ルナの穏やかな表情の中に、確かに存在していた。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI


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