ペットと過ごす車旅の時間――窓の外と、隣にいる温もりと

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犬と一緒に車で旅をするようになったのは、三年ほど前のことだった。最初は近所のドッグランへ行く程度だったのが、いつの間にか片道二時間、三時間と距離が伸びていき、気づけば週末ごとに地図を広げては行き先を探すようになっていた。彼の名前はマロン。柴犬とコーギーのミックスで、耳だけが妙に大きく、走るときにぴょこぴょこと揺れる。その姿を見るたびに、まるで小さな飛行機が滑走路を駆けているようだと思う。

ペットとの生活は、日常のリズムを少しだけ変える。朝の散歩、ごはんの時間、そして何よりも、彼らの存在そのものが生活の中心になっていく。それは決して負担ではなく、むしろ自然な流れのようなものだった。マロンが家に来てから、私の週末は確実に外へ向かうようになった。それまでは家でぼんやりとコーヒーを飲んで過ごしていたのに、今では朝六時には車のエンジンをかけている。

長距離移動をするときには、いくつか注意することがある。まず、こまめな休憩。人間だけなら多少無理もきくが、犬は自分で「疲れた」とは言わない。だから一時間半に一度は必ず停車して、水を飲ませ、少し歩かせる。夏場ならアスファルトの温度にも気を配らなければならない。肉球は思っているよりずっと繊細だ。

ある初夏の朝、長野方面へ向かう高速道路を走っていたときのことだ。窓を少しだけ開けていると、涼しい風が車内に流れ込んできた。まだ朝の七時前で、空気には夜の名残のようなひんやりとした感触が残っていた。助手席のマロンは、専用のシートベルトハーネスをつけて座っている。彼は窓の外をじっと見つめていた。何を見ているのかはわからない。ただ、風景が流れていくのを追っているようだった。

途中、サービスエリアに立ち寄った。ここは「アルプスの風テラス」という名前で、地元の野菜や果物が並ぶ直売所が併設されている。マロンを連れて芝生のエリアへ向かうと、彼はいつものように地面の匂いを嗅ぎ始めた。犬にとって、匂いは風景そのものなのかもしれない。人間が目で見る景色を、彼らは鼻で読み取っている。

休憩を終えて車に戻ろうとしたとき、マロンが突然立ち止まった。何かと思えば、自動販売機の下に落ちていた小枝をじっと見つめている。それを咥えようとして、ハーネスのリードがぴんと張った。私が「それはいらないでしょ」と言っても、彼は諦めない。結局、その小枝は車のダッシュボードに収まることになった。今もそこにある。旅の記念品として。

長距離を移動するときには、車内の温度管理も欠かせない。エアコンの風が直接当たらないようにしながら、それでも涼しさは保つ。冬なら逆に、暖房で乾燥しすぎないように気をつける。水は常に手の届く場所に置いておく。それから、急ブレーキや急カーブをできるだけ避けること。犬は四本足で踏ん張っているとはいえ、車の揺れには敏感だ。

子どもの頃、家族で車旅行をしたときのことを思い出す。後部座席で退屈そうにしていた私に、父が「窓の外を見てごらん」と言った。そのとき見えたのは、夕焼けに染まった田んぼと、遠くに連なる山々だった。その景色を今でも覚えている。マロンもきっと、彼なりの記憶を持っているのだろう。匂いや音、揺れや光。それらが積み重なって、彼の中で「旅」というものが形作られていく。

ペットとの生活は、時間の流れ方を変える。予定通りにいかないことも多い。トイレ休憩が思ったより長引いたり、突然立ち止まって動かなくなったり、知らない人に撫でられて嬉しそうにしっぽを振ったり。そのたびに予定は少しずつずれていくけれど、それが悪いことだとは思わない。むしろ、そのズレこそが旅の面白さなのかもしれない。

助手席で眠り始めたマロンの呼吸が、静かに聞こえてくる。規則正しく、穏やかなリズム。ラジオの音量を少し下げて、窓の外に目をやる。道路脇には白い花が咲いていた。名前は知らない。でも、きれいだと思った。

車での旅は、目的地に着くことだけが目的ではない。その途中にある時間、景色、匂い、そして隣にいる存在。それらすべてが旅そのものだ。マロンと一緒に走る道は、いつも少しだけ違って見える。それは彼がいるからだ。彼の視線の先に、私の知らない何かがあるような気がする。

やがて目的地に近づくと、マロンは目を覚ました。耳をぴくりと動かして、何かを感じ取ったようだった。もうすぐ着く。そう伝えるように、彼の背中をそっと撫でた。温かかった。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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