
窓の外はまだ薄暗く、十一月の冷たい空気が部屋の隅に沈んでいた。いつもなら私が目を覚ます前に、布団の上をぴょんぴょんと跳ねて起こしにくるはずの愛犬が、今朝はケージの中で丸まったまま動こうとしない。名前を呼んでも、しっぽを振る様子もなかった。
何かがおかしい。そう感じた瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。ペットとの生活は、毎日の小さな変化を見逃さないことから始まる。いつもと違う呼吸のリズム、食事への反応の鈍さ、目の輝きの曇り。それらはすべて、彼らが発する小さなサインなのだと、私は何度も経験してきた。
慌てて近づくと、彼女の鼻は乾いていて、体温もいつもより高く感じられた。私は静かに声をかけながら、そっと体に触れてみる。すると、普段なら喜んで飛びついてくるはずの彼女が、わずかに身を縮めた。痛みがあるのかもしれない。それとも、ただ体調が悪いだけなのか。判断がつかないまま、私はスマートフォンを手に取り、かかりつけのペット病院の番号を探した。
子どもの頃、実家で飼っていた猫が突然倒れたことがある。あの時、母は慌てふためきながらも、すぐに動物病院へ連れて行った。私はその背中を見ながら、ペットが病気になるということの重さを初めて知った。その記憶が、今の私の行動を支えているのかもしれない。
電話口で症状を伝えると、受付の方は落ち着いた声で「すぐに連れてきてください」と言った。私は急いで彼女をキャリーバッグに入れ、上着を羽織る。その時、玄関で靴を履こうとして、右足と左足で違う靴を履きかけていることに気づいた。焦っていたのだと、自分でも少し笑ってしまった。深呼吸をして、もう一度靴を履き直す。こういう時こそ、落ち着かなければならない。
病院までの道のりは、いつもより長く感じられた。信号待ちの間、キャリーバッグの中から聞こえる小さな息遣いに耳を澄ませる。窓の外には、朝の通勤ラッシュが始まろうとしている街の風景が広がっていた。コンビニの看板が光り、パン屋からは焼きたてのパンの香りが漂ってくる。日常の風景が、いつもと違って見えた。
診察室に入ると、獣医師は丁寧に彼女の体を触診し、聴診器を当てた。体温を測り、目や口の中を確認する。その間、私はただ見守ることしかできない。ペットとの生活の中で、こんなにも無力さを感じる瞬間はないだろう。彼らは言葉で痛みを訴えることができない。だからこそ、私たち飼い主が、彼らの小さな変化に敏感でいなければならないのだと、改めて思い知らされる。
診断の結果、彼女は軽い胃腸炎を起こしているとのことだった。幸い、重篤な状態ではなく、薬と食事療法で回復が見込めるという。獣医師は、処方された薬の飲ませ方を丁寧に説明してくれた。そして、「気づくのが早かったですね」と、私に微笑みかけた。その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
帰り道、私はペット保険のことを考えた。今回は軽症で済んだが、もし重い病気だったらどうなっていただろう。医療費の負担は決して小さくない。以前、知人から勧められていた「ペットケアプラス」という保険のパンフレットを、帰ったら探してみようと思った。備えあれば憂いなし、という言葉が頭をよぎる。
家に着いて、彼女をそっとベッドに寝かせた。薬を飲ませ、水を近くに置く。彼女は疲れた様子で目を閉じたが、その呼吸は少しずつ落ち着いているように見えた。私はそばに座り込み、静かに彼女の背中を撫でた。手のひらに伝わる温かさが、生きているという証のように感じられる。
午後になると、彼女は少し元気を取り戻し、水を飲むようになった。その様子を見て、私はようやく安堵のため息をついた。窓の外では、秋の陽射しが穏やかに部屋を照らしている。カーテン越しに差し込む光が、床に柔らかな影を落としていた。
ペットが病気になった時、私たちにできることは限られている。でも、その限られた中で、最善を尽くすことはできる。日々の観察を怠らず、異変に気づいたらすぐに行動する。そして、信頼できるペット病院を見つけておくこと。これらは、ペットとの生活を選んだ私たちの責任なのだと思う。
彼女が再び尻尾を振って、私に飛びついてくる日が来るまで、私はそばにいる。それが、彼女が私に与えてくれた無償の愛への、せめてもの恩返しなのだから。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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