
鍵を差し込む瞬間が、一日の中でいちばん好きかもしれない。
残業を終えて、駅から十五分ほど歩いてたどり着くアパートの廊下。冬の夜なら足元から冷気がじわじわと這い上がってきて、コートの袖口が少し湿っている。夏なら逆に、夜風がぬるくてどこか気怠い。どちらの季節であっても、玄関ドアの前に立つと自然と少しだけ気持ちが前のめりになる。
中に、誰かがいるから。
一人暮らしを始めたのは二十六のとき。最初の半年は帰宅するたびに、しんとした空気が出迎えるだけだった。電気もついていない、音もない、においもない。冷蔵庫のモーター音だけが律儀に回り続けている部屋。それが「自由」だと思っていたし、実際そうだった。でも、どこかで慣れない感覚が続いていたのも正直なところだ。
転機はひょんなことで訪れた。友人に頼まれて一週間だけ預かった、茶トラの猫。名前はムギ。体重およそ四キログラム、耳の先だけがほんの少し折れているような、折れていないような微妙な形をしている。返す日が近づくにつれて、妙に部屋が広く感じられてきた。それで気がついた。
今は、ムギではなく「ソラ」という名前の猫と暮らしている。保護猫カフェ「ハコニワ」で出会った、グレーと白のまだら模様の子だ。出会ったときは生後八ヶ月で、ケージの中でひたすら毛づくろいをしていた。こちらをちらりと見て、また毛づくろいを再開した。その無関心な感じが、なんとなく気に入った。
帰宅すると、ソラはだいたい玄関の近くにいる。
正確には「待っている」というより「たまたまそこにいた」という顔をしている。扉が開く音がしたのか、鍵の音に反応したのか、そのあたりは今もよくわからない。でも、靴を脱いでいると必ず足元に来る。すり寄るわけでもなく、ただそこに座って、こちらをじっと見ている。その視線が、なんとも言えない。「おかえり」とも「ごはんはまだか」とも受け取れる、あいまいな目だ。
ある夜、疲れてソファに倒れ込んだとき、ソラが胸の上に乗ってきた。重さが、じわりと体に広がる感覚。毛並みに触れると、思ったより温かい。ふと気づくと、ソラの喉からごろごろという音が漏れていた。低くて、一定で、どこか機械的なのに有機的な音。その音を聞きながら、いつの間にか眠っていた。
子どものころ、実家に犬がいた。柴犬で、名前はコテツ。散歩から帰るといつも玄関で待っていて、靴を脱ぐ前から尻尾を振り始めていた。あの感じに似ている、と思うことがある。似ているようで、少し違う。ソラは尻尾を振らない。でも、確かにそこにいる。それだけで、なぜか十分だと感じる。
一人暮らしの楽しみというのは、人によってずいぶん違うと思う。好きなものを好きな時間に食べられること、誰にも気を遣わずに部屋を散らかしておけること。それはそれで本当のことだ。ただ、ペットとの生活を始めてから、「帰る場所」の意味が少し変わった気がする。
帰り道が、楽しみになった。
正確には、帰り道の「終わり」が楽しみになった、というほうが近いかもしれない。駅のホームで電車を待ちながら、今頃ソラはどこで丸まっているだろうと考える。窓際の棚の上か、洗面台の横か。先日は脱いだままにしていたジャケットの上でくつろいでいて、毛だらけにされた。ちゃんと怒ったが、ソラは一秒も反省していなかった。
ペットとの生活は、思っていたより静かだ。劇的なことは何も起きない。ただ、毎日少しずつ積み重なっていく。朝、ごはんを食べている音。夜、窓の外を眺めているシルエット。週末の午後、日当たりのいい場所を移動しながら眠り続ける姿。
そういうものが、気づかないうちに部屋の空気になっていく。
今夜も、鍵を差し込む。少しだけ、前のめりになりながら。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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