ペットと子供が紡ぐ、小さな午後の物語

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窓辺から差し込む三月の午後の光は、思いのほか柔らかく部屋を満たしていた。春の気配はまだ遠く、空気には冬の名残が漂っているけれど、陽射しだけは確かに季節の変わり目を告げている。リビングの床に敷かれた古いラグの上で、五歳になる娘が愛犬のクッキーと向き合っていた。クッキーは茶色の柴犬で、家族になってから三年が経つ。娘が二歳の頃、初めてクッキーを抱いた時の震える手を、私は今でも鮮明に覚えている。

娘はクッキーの前に座り込み、絵本を広げていた。読み聞かせをしているつもりらしい。ページをめくる度に、クッキーは首を傾げて娘の顔を見上げる。犬に物語が理解できるはずもないのだが、娘は真剣そのもので、ときおり「ね、クッキー」と同意を求めるように話しかけていた。クッキーは尻尾を小刻みに振りながら、娘の膝に前足を乗せている。その光景を眺めながら、私はキッチンでカモミールティーを淹れていた。ティーバッグから立ち上る湯気が、静かな午後の空気をさらに穏やかなものに変えていく。

ペットとの生活は、思っていた以上に子供の成長に影響を与えるものだと実感する日々だった。娘はクッキーが家に来てから、他者への思いやりを少しずつ学んでいるように見えた。犬の気持ちを想像し、疲れているときは静かにそばにいてあげる。嬉しそうにしているときは一緒に喜ぶ。そうした自然なふれあいの中で、言葉では教えられない何かが育っているのだと思う。

クッキーの方も、娘に対して特別な優しさを見せる。娘が泣いている時には必ず寄り添い、顔を舐めて慰めようとする。散歩の時には娘の歩調に合わせてゆっくり歩く。まるで、自分が守るべき存在を理解しているかのようだった。先日、娘が公園でクッキーのリードを持って歩いていた時、突然リードが手から滑り落ちた。慌てて追いかける娘を見て、クッキーは逃げるどころか立ち止まり、娘が追いつくのを待っていた。その姿を見て、胸が熱くなったことを覚えている。

子供の頃、私にもペットがいた。名前はモモという白い猫で、いつも縁側で日向ぼっこをしていた。学校から帰ると必ず玄関まで迎えに来てくれて、足元にすり寄ってきた。その温かさと柔らかさは、今でも指先に残っている気がする。モモとの記憶は、私の中で特別な場所を占めている。だからこそ、娘にも同じような思い出を持ってほしいと思っていた。

リビングに戻ると、娘は絵本を閉じてクッキーの耳を優しく撫でていた。「ママ、クッキーね、お話聞いてくれたよ」と嬉しそうに報告してくる。私は微笑みながら頷いた。娘の小さな手がクッキーの背中をゆっくりと撫でる様子を見ていると、その仕草の丁寧さに驚かされる。力加減を覚え、相手が心地よいと感じる触れ方を自然と身につけている。それは誰かに教わったものではなく、クッキーとの日々の中で学んだものだった。

ふと、クッキーが大きなあくびをした。娘もつられるようにあくびをして、二人は顔を見合わせて笑った。その瞬間、クッキーの尻尾が娘の顔を直撃し、娘は「わっ」と小さく声を上げた。クッキーは何事もなかったかのように尻尾を振り続けている。娘は目を丸くしながらも、すぐに笑い出した。私も思わず吹き出してしまう。こんな些細な出来事が、日常を特別なものに変えていく。

窓の外では風が木々を揺らし、葉擦れの音が静かに響いていた。部屋の中には陽の光と、カモミールの優しい香りと、娘とクッキーの穏やかな時間が流れている。ペットと子供のふれあいは、大人が思う以上に深く、豊かなものなのかもしれない。言葉を交わさなくても通じ合える関係、無条件に受け入れ合える絆。そうしたものが、この小さな空間には確かに存在していた。

娘はやがてクッキーの隣に寝転び、その背中に頭を乗せた。クッキーは少しも動かず、娘の枕になることを受け入れている。二人の寝息が重なり始める頃、私はそっとブランケットをかけてあげた。春はもうすぐそこまで来ている。この子たちが共に過ごす時間は、きっとかけがえのない宝物になるだろう。ペットとの生活が教えてくれるのは、命の温かさと、そばにいることの尊さなのだと思う。

午後の光は少しずつ傾き始め、部屋の中に長い影を落としていた。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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