ペットと暮らす家が、いつの間にか変わっていた話

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うちに犬が来てから、冷蔵庫の中身が妙に複雑になった。

人間用の食材と、犬用の茹でた野菜と、猫用の刺身の切れ端が同居している。そう、犬だけじゃなくて猫もいる。正確には犬一匹、猫二匹。この構成になったのは去年の春頃だったと思うけど、もう感覚がマヒしてきて、ペットがいない生活のほうが想像できなくなってる。朝起きると必ず誰かが顔の近くにいるし、夜中にトイレに行けば廊下で誰かとすれ違う。で、家族の誰かが必ず起きてきて「どうしたの」って聞いてくる。ペット中心の生活リズムに、人間が巻き込まれてる感じ…だけど。

最初に犬を迎えたとき、父親が「俺は絶対に世話しないからな」って宣言してたのに、今では誰よりも早起きして散歩に行ってる。しかも散歩コースを三つも開拓して、犬の体調に合わせて使い分けてるらしい。「今日は足取りが軽いから長距離コース」とか言ってる。母はというと、ペット用の食事記録ノートをつけ始めた。几帳面な性格が発揮されて、食べた時間、量、便の状態まで細かくメモしてる。最初は「そこまでやる?」って思ってたけど、動物病院に行ったときにそのノートが役立って、獣医さんに褒められてからは本人も嬉しそうだ。

妹は猫派だったはずなのに、犬の写真ばっかりスマホに入れてる。

体調管理に関しては、家族全員が妙に敏感になった。犬が少し元気がないと「昨日何か変なもの食べた?」って会議が始まるし、猫の片方が吐いたりすると家中が緊張モードになる。獣医さんの連絡先は家族全員のスマホに登録済みで、夜間対応の病院の場所も把握してる。ここまで来ると、もはや小さな子供を育ててるのと変わらない気がする。いや、子供育てたことないから知らないけど。

食事の時間が一番カオスだ。人間の夕飯の準備をしながら、ペットたちのご飯も並行して作る。犬用には茹でた鶏肉とかぼちゃ、猫たちには年齢が違うから別々のフード。しかも一匹は腎臓ケア用の特別食。キッチンに立つと、足元に三匹が集結して、それぞれ違う鳴き声で催促してくる。犬は「ワンッ」、年上の猫は「ニャーオ」、若い猫は「ミャッ」。この三重奏を聞きながら料理するのが日常になった。

そういえば去年の夏、友達の家に遊びに行ったとき、あまりの静けさに違和感を覚えたんだよね。ペットがいない家って、こんなに音がしないものなのかって。人間の話し声とテレビの音だけ。床を走り回る足音も、爪がフローリングを引っ掻く音も、突然の鳴き声もない。なんだか寂しいなって思ってしまった自分に驚いた。完全に感覚が変わってる。

休日の過ごし方も変化した。以前は家族バラバラに好きなことをしてたのに、今はリビングに集まってることが多い。別にペットと遊んでるわけじゃなくて、ただそれぞれが本を読んだりスマホ見たりしてるだけなんだけど、ペットたちが誰かの膝の上や足元にいる。で、たまに「見て、今すごく可愛い顔してる」とか言って写真を撮り合う。こういう時間が自然に増えた。

ペット用品を買いに行くのも、いつの間にか家族のイベントになってる。ホームセンターのペットコーナーに行くと、みんなで「これ良さそう」「あっちのほうが品質いいんじゃない?」って相談する。で、結局予定より多く買って帰る。おもちゃとか、もう収納場所に困るくらいあるのに。特に父親が買いすぎる。世話しないって言ってたのは誰だったのか。

体調の変化には本当に敏感になった。犬の歩き方がいつもと違うとか、猫の目やにの色がおかしいとか、そういう小さなサインを見逃さなくなった。ペット用の体温計も常備してるし、爪切りや耳掃除の道具も一通り揃ってる。最初は獣医さん任せだったのが、今では家でできるケアは自分たちでやるようになった。母が図書館から借りてきたペットの健康管理の本が、リビングの本棚に並んでる。付箋だらけになってて、相当読み込んでるのがわかる。

夜、家族が寝静まった後、一匹だけ起きてる猫と目が合うことがある。

お互い何も言わずに、ただ見つめ合う時間。あれは何なんだろうって思うけど、嫌いじゃない。というか、そういう瞬間があるから、この生活が続いてるのかもしれない。言葉が通じないからこそ、観察して、想像して、理解しようとする。その繰り返しが、家族の会話を増やしたのかもしれないし、増やしてないのかもしれない。よくわからないけど、とりあえず今日も冷蔵庫には人間用とペット用の食材が混在してる。それでいいんだと思う、たぶん。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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