ペットがいる家の子供は、たぶん何かが違う

Uncategorized

Uploaded Image

うちの娘が犬の耳を引っ張って泣かれたのは、確か3歳の夏だった。

あの日のことは今でも鮮明に覚えてる。リビングの窓から差し込む西日が眩しくて、エアコンの効きが悪い部屋で娘とゴールデンレトリバーのマロが昼寝から目覚めたところだった。娘はまだ寝ぼけた顔で、マロの耳をぎゅっと掴んだ。マロは「キャン!」って鳴いて、娘の手から逃げるように立ち上がった。娘は驚いて泣き出して、私は慌てて駆け寄ったんだけど、その時のマロの表情が忘れられない。怒ってるわけじゃなくて、困ったような、でもどこか諦めたような顔。

それから娘は、触り方ってものを学んでいった。

最初は「優しくね」って何度言っても通じなかった。力加減が分からないから、撫でてるつもりが叩いてるみたいになってる。マロは毎回じっと耐えてた。時々私の方を見て「これ、いつまで続くんですか?」みたいな目をしてたけど、決して唸ったり噛んだりはしなかった。

ペットと暮らすって、教科書には載ってない教育だと思う。

保育園で先生が「お友達には優しくしましょう」って教えても、娘にはピンと来てなかったみたい。でもマロが痛がる声を聞いた時、娘の中で何かが変わった。それは言葉で説明されたルールじゃなくて、生き物の反応として体に刻まれたもの。5歳になった今、娘はマロの背中を撫でる時、手のひら全体を使ってゆっくり動かす。毛並みに逆らわないように、マロが気持ちよさそうに目を細める場所を探しながら。

そういえば去年の秋、近所のカフェ「ブルームーンテラス」でママ友と話してた時、誰かが「ペットって子供の情緒教育にいいらしいよ」って言ってた。その時は「へえ」くらいにしか思わなかったけど。

朝の支度が変わったのは、いつ頃だったか。

娘は自分の朝ごはんより先に、マロの水を替えるようになった。別に私が教えたわけじゃない。ある朝突然、パジャマ姿のまま台所に来て「マロのお水、昨日のままだよ」って言った。その声には、責めるでもなく、ただ気づいたことを報告するような響きがあった。それから毎朝、娘は保育園の準備をする前に、マロの水入れを洗って新しい水を入れる。その小さな背中を見ながら、私はトーストを焼いてる。

責任感って、こうやって育つんだなって思った瞬間があった。

娘が熱を出して保育園を休んだ日のこと。私は仕事を休めなくて、実家の母に来てもらった。夕方帰宅すると、母が笑いながら教えてくれた。「あの子ね、熱があるのにマロの散歩に行くって聞かなかったのよ。『マロが待ってるから』って」結局母が散歩に連れて行ったらしいけど、娘は玄関でずっと待ってたらしい。窓から外を見て、マロの帰りを。

ペットがいると、世界の中心が自分じゃなくなる。

これは大人にも言えることだけど、子供の場合はもっと劇的だと思う。今まで「お腹すいた」「眠い」「遊びたい」だけで動いてた小さな人間が、「マロは?」って聞くようになる。自分の欲求と同じくらい、いや時には自分より先に、マロのことを考える。朝起きて最初に探すのがマロで、保育園から帰って真っ先に抱きつくのがマロで、夜寝る前に「おやすみ」を言うのもマロ。

散歩の途中で他の犬に会うと、娘は必ず「この子は何歳?」って聞く。

飼い主さんが「2歳だよ」とか答えると、娘は真剣な顔で「マロは7歳」って教える。その後、決まって「マロの方がお兄さんだね」って付け加える。犬の年齢を人間の年齢に換算すると、みたいな話を私がしたのを覚えてるらしい。「マロはもう大人なんだよ」って、誇らしげに言う。自分よりずっと年上の存在を世話してるっていう自覚が、娘の中に芽生えてる。

雨の日の朝は、いつもちょっとした戦いになる。

マロは散歩に行きたくて玄関でクンクン鳴いてるし、娘は「雨だからマロが風邪ひく」って心配してる。「犬は風邪ひかないよ」って説明しても、娘は納得しない。結局レインコートを着せて、短めの散歩に行くことになる。帰ってきたマロの足を拭くのも、今は娘の仕事。タオルで一本ずつ丁寧に拭いてる姿を見ると、時間はかかるけど、止める気にはなれない。

最近気づいたんだけど、娘はマロに話しかける時、声のトーンが違う。

保育園で友達と話す時の声より、少し高くて柔らかい。「マロちゃん、今日は何して遊ぶ?」とか「お腹すいた? もうすぐごはんだよ」とか、一方的に話してるわけじゃなくて、ちゃんとマロの反応を待ってる。マロが尻尾を振ったり、首を傾げたりすると、娘はそれを返事として受け取って、また話し続ける。会話が成立してるかどうかは分からないけど、コミュニケーションは確実に成立してる。

ペットと暮らすって、正解のない問いに向き合い続けることかもしれない。

マロが何を考えてるのか、本当のところは誰にも分からない。娘の「マロは嬉しい?」って質問に、私はいつも「たぶんね」としか答えられない。でもその「たぶん」の中で、娘は相手の気持ちを想像する練習をしてる。表情を読み取ろうとして、行動から推測しようとして、時には間違えながら。

夜、娘が寝た後、マロと二人でリビングにいる時間が好きだ。娘の成長を一番近くで見てきたのは、私じゃなくてマロかもしれないって思う時がある…まあ、そんなこと考えても仕方ないんだけど。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

コメント

タイトルとURLをコピーしました