ペットがいる暮らしは、家族をもっと仲良しにする

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十月も後半に差しかかると、夕方の光がずいぶんと低くなる。窓から差し込む西日が、フローリングの上に細長い影をつくり、その中にうちの犬・麦がぺたりと寝そべっている。あの丸まった背中を見るたびに、ああ、この子がいてよかったと思う。言葉にすると陳腐になってしまうけれど、それが正直なところだ。

ペットとの生活を始めたのは、三年前の秋のことだった。子どもたちがずっと「犬を飼いたい」と言い続けていて、私たち夫婦はずっと「まだ早い」と先延ばしにしていた。結局、背中を押したのは娘のひとことだった。「お父さん、麦って名前にしようよ」。名前まで決まっていたのか、と笑いながら、気づいたら近所のブリーダーに連絡していた。

麦が家に来た最初の夜、小さな鳴き声が止まなくて、息子が「俺が寝てあげる」と言い張り、リビングの床に布団を敷いて添い寝した。翌朝、息子はひどい寝癖で起きてきて、麦はその隣でぐっすり眠っていた。そのちぐはぐな光景が、妙に愛おしかった。

ペットがいると、家族の会話が増える。これは本当のことで、夕食の話題が麦のことになる日が多い。「今日、麦が郵便受けに向かってずっと吠えてた」「散歩で柴犬に無視された」、そういう小さな出来事が食卓に並ぶ。以前は「今日どうだった?」と聞いても「別に」で終わっていた息子が、麦の話になると止まらなくなる。ペットは、家族の潤滑油みたいなものかもしれない。

散歩は、私の担当だ。朝六時半、まだ空気がひんやりしている時間に麦と外へ出る。この季節は落ち葉の匂いがして、踏むたびにかさりと音がする。麦は鼻を地面に押しつけながら歩くから、なかなか前に進まない。急かすのをやめてから、散歩がずっと楽しくなった。立ち止まって空を見上げると、うろこ雲が広がっていて、ああ、こんな朝があるんだと気づく。麦がいなければ、きっと見ていなかった景色だ。

子どもの頃、実家でも犬を飼っていた。名前はクロで、雑種の黒い犬だった。毎日学校から帰るとクロが玄関で待っていて、ランドセルを下ろす間もなく飛びついてきた。あの体温と、しめった鼻先の感触を、今でも覚えている。麦を撫でるとき、ふとクロのことを思い出す。ペットとの記憶は、不思議なくらい身体に残る。

最近、妻がインテリアショップ「ノルドハウス」で買ってきた麦専用のバスケットが、リビングの隅に置いてある。ナチュラルな素材で編まれた、落ち着いた色合いのもので、麦はそこがお気に入りらしく、一日の半分はそこで丸くなっている。家族全員でペットとの生活を整えていくうちに、部屋全体が少しずつ変わっていった気がする。麦に合わせて、というより、麦と一緒に、という感覚に近い。

仲良しな家族というのは、何か特別なことをしているわけじゃないと思う。同じ方向を向いて笑える瞬間が、日常の中にどれだけあるか、それだけの話だ。麦がくしゃみをすると、なぜか家族全員が「おっ」と反応して、笑いが起きる。それだけのことで、夕方のリビングが少し明るくなる。

ペットとの生活は、劇的に何かを変えるわけじゃない。ただ、毎日の中に小さな「見るべきもの」が増える。麦が窓の外を眺めている横顔とか、息子が帰宅した瞬間に尻尾を振る速度とか、そういうものが積み重なって、気づいたら家族の風景になっている。

今日も夕方になれば、麦は玄関の前に座って誰かの帰りを待つだろう。その背中を見て、誰かがただいまと言う。それだけで、この家はもう十分に温かい。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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