ペットがいる毎日が、家族をもっと仲良しにしてくれる話

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五月の朝は、やわらかい。カーテンの隙間から差し込む光が、フローリングの上にうすく伸びて、そこにまるまった茶色い毛のかたまりがいる。うちの犬、麦(むぎ)だ。トイプードルの三歳で、名前のわりにはまったく素朴ではなく、家の中でいちばん要求が多い。

麦を迎えたのは、三年前の春のことだった。子どもたちがどうしても、と言い続けて、夫も私もしばらく迷って、それでもある土曜日の午後にペットショップへ足を運んだ。あの日の帰り道、娘がキャリーバッグをそっと抱えて後部座席に座っていた姿を、今でも鮮明に思い出す。窓の外を流れる景色よりも、娘の横顔のほうがずっと輝いていた。

それから私たちの家は、少し変わった。朝、誰よりも先に麦が起きる。というより、麦に起こされる。冷たい鼻先を手の甲にぐいっと押しつけてくる感触で目が覚めて、「まだ六時だよ」と心の中でツッコミを入れながら、それでも布団を抜け出してしまう。ペットとの生活というのは、こういう小さな「負け」の積み重ねでできている気がする。

ペットを「家族の一員」として捉える価値観は、
少子高齢化や単身世帯の増加といった社会構造の変化を背景に、確実に広がっている。
でも、うちの場合はそんな社会的な文脈よりも、もっとシンプルな理由で麦は家族になった。息子が学校から帰ってきたとき、玄関で誰よりも先に出迎えるのが麦だから。夫が疲れた顔で帰宅しても、麦だけはいつも全力で喜ぶから。そういう、ただそれだけのことが積み重なって、いつのまにか「うちの子」になっていた。

約半数の飼い主がペットと同じ時間・布団で寝る習慣があるという調査結果もある
が、うちも例外ではない。夜、子どもたちが寝室に引き上げると、麦はしばらく私の足元でうとうとしている。テレビの音が遠くなって、部屋が静かになるころ、ふと気がつくと麦の体が私の膝に乗っていて、その重さと温もりがなんとも心地よい。夫が「ちゃんとケージで寝かせないと」と言い始めるのだが、毎晩うまく言いくるめられているのは夫のほうだ。

ペットとの生活が家族を仲良しにする、というのはよく言われることだけれど、それが本当だと実感したのは、去年の秋のことだった。息子と娘がちょっとした口喧嘩をして、夕飯の食卓がしばらく重い空気に包まれていた。そのとき麦が突然、テーブルの下から息子の靴下を引っ張り出して、得意げに居間をぐるぐる走り始めた。誰も笑うまいとしていたのに、娘がまず吹き出して、息子もつられて笑って、気がつけばふたりとも麦を追いかけていた。夫と私は顔を見合わせた。靴下一枚が、場を救った瞬間だった。

ペットを単なる愛玩動物ではなく家族の一員として一緒に暮らす「ペットの家族化」は世界中で進んでいる
と言われるが、私が感じるのはもう少し地に足のついた話だ。麦がいることで、子どもたちが「世話をする」という経験を自然に積んでいる。息子は毎朝、麦のごはんを量って入れるのが自分の役割だと決めていて、忘れたことは一度もない。娘は週に一度のブラッシングを担当していて、麦がうっとりした顔で目を細めるのを見て、満足そうにしている。

インテリアブランド「モスグリーンホーム」のカタログで見た、ペットと暮らす家のページを眺めながら、「うちもこんな感じにしたいな」と思ったことがある。でも実際の我が家は、おもちゃが転がり、リードが玄関に引っかかり、毛がソファに積もっている。それでも、なぜか居心地がいい。整っていないのに、温かい。そういう空間を、麦がつくっている。

「生活にもっとも喜びを与えてくれる存在」を尋ねた調査では、犬のオーナーは1位が家族で2位がペットと回答している
という。うちの場合、もはや麦は家族の一部なので、その順位を分けることすら難しい。

五月の朝日が部屋に満ちてくるころ、麦はようやく伸びをして、大きなあくびをひとつする。その音で子どもたちが起きてきて、「麦〜」と呼びながら階段を降りてくる。夫がコーヒーを淹れる香りが台所から漂ってきて、一日がゆっくりと動き出す。ペットとの生活は、家族のリズムをつくる。仲良しでいられる理由を、毎朝ひとつずつ積み上げてくれる。それが、麦がうちにいてくれることの、いちばん大切な意味だと思っている。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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