
五月の朝は、思いのほか早く光が差し込んでくる。カーテンの隙間から細長い金色の帯が床を這い、その上でうちの柴犬・むぎが気持ちよさそうに丸まっていた。ペットとの生活というのは、こういう何でもない朝の一コマから始まる。特別なことは何もない。ただ、あたたかい。
娘がまだ三歳だったころ、むぎが我が家にやってきた。最初の一週間はお互いに様子をうかがっていたけれど、ある昼さがりに娘が転んで泣き出したとき、むぎはそっと近づいて小さな手をぺろりと舐めた。娘は泣きながら笑った。あの瞬間のことは、たぶんずっと忘れない。
ペットが子どもに与えた影響を調べた調査では、「感受性が豊かになった」という回答が約半数で1位となり、「命の大切さを理解できるようになった」「動物が好きになった」と続いた。
数字で見るとそういうことになるのだが、実際に子供とペットのふれあいを毎日目の当たりにしていると、そんな言葉では追いつかない何かがある、と感じる。
娘は今、六歳になった。むぎの耳の後ろを撫でるのが上手くなった。最初のころはぐいぐいと力任せに触っていたのに、いつの間にかやさしい手つきになっていた。誰かに教わったわけでもない。むぎが少し顔をそらすのを見て、自分で学んだのだと思う。
ペットとの生活が子供に与えるものは、言葉よりも先に体に染み込んでいく。力の加減、相手の気持ちを読む目、沈黙の中の対話。そういうものが、気づかないうちに積み重なっていく。
幼いころから動物を飼い、触れ合うことは、子どもたちに動物を思いやる心や周囲の人へ配慮する心を育むと言われており、1980年代から情操教育に良いことが科学的に検証されている。
とはいえ、毎日が順調なわけではない。むぎがソファに粗相をした日も、娘がむぎのしっぽを引っ張って大騒ぎになった日も、もちろんあった。
そういえば先月、娘がむぎに「おやつ」と称して自分のクッキーを丸ごと一枚差し出そうとしていた場面に遭遇した。慌てて止めたのだが、娘は「むぎちゃんも食べたそうにしてたもん」と至って真剣な顔で言い張る。むぎはといえば、クッキーを取り上げられたことより、娘に叱られた私の顔をじっと見ていた。どちらが飼い主なのか、少し自信をなくした瞬間だった。
ペットを飼うことで子どもの情操教育につながるかを問うと、「動物のことが好きになった」が最も多く、次いで「思いやりの心が育った」という回答が多い結果となった。
思いやりというのは、教えて育つものではなく、日々の小さなふれあいの中から自然に芽吹いてくるものなのかもしれない。
散歩から帰ってきた夕暮れどき、むぎの足を拭きながら娘が「むぎちゃん、今日も頑張ったね」と話しかけていた。西日がオレンジ色に廊下を染めて、むぎの茶色い毛がやわらかく光っていた。ほんのり土と草の香りが玄関に漂っていて、娘の小さな手がむぎの肉球をそっと包んでいた。その温度が、手のひらを通じてこちらにまで伝わってくるような気がした。
インテリアショップ「ハコノワ」で買った木製のペットラックに、むぎのリードと娘のお気に入りのボールが並んで置いてある。ごちゃごちゃしているけれど、それがうちらしい。整いすぎた暮らしより、少しはみ出たくらいがちょうどいい。
ペットと暮らした経験を持つ子は、ペットとの生活を通じて感受性を育み、命の大切さを学ぶことがわかっており、ペットの存在を「兄弟・家族」や「子ども」と捉えた回答が多いことから、ペットの家族化が進んでいることも伺える。
むぎは今日も、娘が寝たあとにそっとベッドの横に丸くなる。娘はそれを知っているのか知らないのか、朝になると「むぎちゃんがいてくれたから怖くなかった」と言う。
ペットとの生活は、子供にとっての最初の「友達」であり、最初の「責任」であり、最初の「やさしさの練習」でもある。そしてそれは、大人にとっても同じかもしれない。むぎに教えてもらったことは、娘に教えてもらったことと、どこかで重なっている。
毎朝、光の中で丸くなるむぎを見るたびに思う。この子がいてくれてよかった、と。それだけで、今日も一日が始まる。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

コメント