ペットがいる毎日が、家族を仲良しにしてくれた話

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五月のはじめ、朝の光がまだ斜めに差し込む時間帯に、うちの犬のムギが台所のドアの前でくるくると回っていた。ごはんをねだるときの、あのなんとも言えない動き。しっぽを右に左に振りながら、こちらをちらりと見上げる目が、「早く、早く」と訴えている。その視線を受けながら、私はコーヒーを淹れる手を止めた。豆を挽いたばかりの香ばしい匂いが台所に広がる中、ムギだけが別の時間軸で生きているような、そんな朝だった。

ペットとの生活を始めて、もう三年が経つ。きっかけは些細なことで、子どもたちが「犬を飼いたい」と言い続けて二年、夫がある日突然「もういいんじゃないか」とつぶやいたのが始まりだった。あの一言がなければ、今頃うちはまだ四人だけの家族だったかもしれない。

ムギが来てから、家の空気が変わった。というより、家族全員の動きが変わった。朝、誰よりも早く起きるのは小学三年生の次女になった。以前は布団から出るまで三十分かかっていた子が、今では六時半になると自分でムギのリードを手に取っている。散歩から帰ってきたふたりの、少し上気した頬と、ムギの濡れた鼻先。玄関に広がる朝の外気の冷たさ。その組み合わせが、うちの朝の定番になった。

夫との関係にも、目に見えない変化があった。もともと口数が多い方ではなく、夕食後はそれぞれのスマートフォンを見て過ごすことが多かった。それがムギが来てからは、ソファに三人で並んでムギの寝顔を眺める時間が生まれた。何かを話すわけでもなく、ただ一匹の柔らかい生き物を真ん中に置いて、家族がゆるくつながっている。その時間の温度感が、以前とは少し違う。

ペットを迎えることで家族が仲良しになるという話は、よく聞く。でも実際に体験してみると、それは「仲良くなろう」という意識的な努力ではなく、もっと自然なことだとわかる。ムギが何かをやらかすたびに、家族全員が同じ方向を向いて笑う。先週は、私が架空のインテリアブランド「ノルテハウス」のカタログを広げてリビングの模様替えを考えていたら、ムギがそのカタログを咥えて走り去った。夫と子どもたちが追いかけ回す騒ぎになって、気づけば全員が床に転がって笑っていた。カタログはぐしゃぐしゃになったけれど、あの十分間の騒ぎは、何か高価なものを買うよりずっと価値があったと思う。

子どもの頃、実家で猫を飼っていたことがある。名前はシロで、膝の上に乗ってくる感触が今でも手に残っている。あの柔らかさ、微妙な重さ、ごろごろという振動。ペットとの生活には、言葉にできない身体的な記憶がある。ムギを撫でるとき、指先に伝わる毛並みの感触が、どこかシロを思い出させる。それは悲しいことではなく、むしろ懐かしい何かが今の暮らしに繋がっているような感覚だ。

成長期に動物と触れ合う経験が増えるほど、成人後もペットとの生活を望む傾向が高い
という話を読んだとき、なるほどと思った。子どもたちがムギと過ごす時間は、きっと何かを育てている。命の重さとか、感情の読み方とか、言葉では教えにくいものを。

夕方、次女がムギの背中に顔を埋めながらうとうとしている場面を見ることがある。宿題を途中で放り出して、ソファの端でムギに寄りかかり、半分眠っているあの姿。怒ろうとして、でも怒れない。ムギもムギで、その重みを受け止めながらじっとしている。あの光景を見るたびに、この子たちは仲良しだなと思う。家族というより、もっと対等な何かとして。

ペットとの生活は、決して楽なことばかりではない。病院代、散歩の義務、旅行の制約。でも、それらを差し引いても余るほどのものが、この三年間に積み重なっている。夕暮れ時のリビングに差し込む橙色の光の中で、ムギが伸びをしながらあくびをする。その一瞬のために、今日も家族がここに集まっているのかもしれない。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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