
九月の朝はまだ少し、夏の名残を引きずっている。カーテンの隙間から差し込む光の中に、トイプードルのムギ(3歳♂)がおなかをくっつけて寝転んでいた。まるで太陽と約束でもしているみたいに、いつもこの時間、この場所を選ぶ。
娘の凜(りん)が四歳になった春、ムギを家族に迎えた。「子供とペットが一緒に育つ」という言葉を、当初は綺麗事のように感じていた。最初の数週間は凜がムギの耳を引っ張るたびにひやりとしたし、ムギが凜のおやつを盗むたびに笑いをこらえるのに必死だった。ペットとの生活は、想像よりずっとノイジーで、ずっと温かい。
五歳になった今、ふたりの間にはもう言葉のいらないやりとりがある。朝、凜が起きてくるとムギは必ず尻尾を振りながら玄関まで走っていく。凜の足音だけで分かるらしく、凜はそれを知っているから、わざとどすどすと大きな音を立てて廊下を歩く。この小さな儀式が、毎朝繰り返されている。
ふれあいというのは、特別なことではないのかもしれない。凜はムギのやわらかい毛の感触が好きで、眠くなるとムギの隣に寄り添って目を閉じる。ムギのほうも、されるがままになっている。いや、むしろ喜んでいる。
私が子供のころ、実家では気難しい雄猫・シロを飼っていた。熱を出して寝込んだ夜、シロだけが布団の足元にずっといてくれた。あの重さと温もりが、妙に心強かった。凜がムギに寄りかかる姿を見るたびに、あの夜のことを思い出す。子供の成長の中に、ペットとの記憶はひそかに、でも確実に刻まれていく。
先月、近所の雑貨店「ノルトハウス」でおもちゃを買った帰り道、凜が突然「ムギって、おともだちだよね」と言った。ペットでも、犬でもなく、「おともだち」。その言葉の選び方に、少しだけ胸を突かれた。
もちろん、笑えることもある。凜がムギに絵本を読み聞かせようとして、ムギが三ページ目あたりで眠り込んでしまったとき、凜が「ちゃんと聞いてよ!」と本気で怒っていた。ムギはそれでも目を開けず、ただ耳だけをぴくりと動かした。そのひと動きで、凜の怒りはあっさり溶けてしまった。
ペットとの生活が子供に与えるものは、責任感や思いやりという言葉でまとめてしまうには少しもったいない。もっと細かくて、個人的な何かだ。ムギが散歩から帰ってきたとき、凜が自分から足を拭いてあげるようになったのはいつ頃からだろう。誰かに言われたわけでもなく、凜がそうしたいと思ったから、そうしている。
夕方、西日がリビングに差し込む時間帯、ムギと凜が並んでうとうとしている。窓の外では秋の虫がまだ鳴き始めたばかりで、その音がかすかに室内まで届いてくる。この景色が、ずっと続けばいいと思う。
凜がムギと過ごした日々は、いつかきっと彼女の中で、誰かを大切にするための土台になる。そう信じながら、今日もこの家の朝は、ムギの尻尾の音から始まる。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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