ペットと育つ、子どもの小さな宇宙──ふれあいが教えてくれたこと

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五月の朝は、光の色が少しだけ違う。カーテンの隙間からさしこむ白みがかった日差しが、フローリングの上でゆっくりと伸びていく。その光の中に、決まって茶色い小さな影がある。我が家のトイプードル、「ムギ」だ。

ムギがやってきたのは、娘の凛が四歳の誕生日を迎えた翌週のことだった。ペットショップの小さなケージの中で、丸まって眠っていたあの子を見た瞬間、凛は「この子にする」と言い切った。迷いのない声だった。親のほうがよほど迷っていたのに、子どもというのは時々、大人より正しい選択をする。

最初の数週間は、正直なところ、混乱の連続だった。ムギはあちこちで粗相をし、凛のぬいぐるみを咬み、深夜にキュンキュンと鳴いた。凛は眠い目をこすりながらリビングへ降りてきて、ムギのそばに座り込んだ。「怖いの?」と小声で話しかけていた。その背中を見ていて、何かが胸に刺さるような感覚があった。

ペットとの生活というのは、想像以上に「待つこと」の連続だ。信頼は時間をかけてしか育たない。凛はそれを、言葉ではなく体で学んでいった。

ある秋の夕方、公園から帰ってきた凛がムギのリードを自分でフックにかけようとしていた。うまくいかなくて、三度やり直して、四度目にようやく引っかかった。そのとき小さく「よし」と言った声が、今でも耳に残っている。何かを成し遂げた声だった。ムギのふれあいの中で、凛は少しずつ、「できた」という感覚を積み重ねていった。

イギリスの横断研究によると、ペットを飼育する子どもたちには動物に関する友情や思いやりの感情が育まれ、感情面の成長はペットとの関わりが強いほど大きいという結果が出ている。
データが示すことを、我が家では毎日、小さな場面の積み重ねとして目撃してきた。

凛が六歳になった冬、ムギが体調を崩した日があった。食欲がなく、いつもと目の輝きが違う。凛は学校から帰るなり、ランドセルも下ろさずにムギのそばに寄り、額に手を当てた。「熱い気がする」と言った。人間の体温の測り方を、ムギに応用しようとしていたのだ。正確かどうかはともかく(おそらく全く正確ではない)、その行為には確かな愛情があった。

ペットとの暮らしは、子どもの成長にとって、教科書には載らない授業のようなものだと思う。責任感、忍耐、そして喜び。ムギがしっぽを振るたびに、凛の顔がほころぶ。その表情を見るたびに、この子はちゃんと育っているな、と感じる。

インテリアブランド「ノルディクラフト」の木製おもちゃ棚の横に、ムギのベッドを置いている。凛がそこに絵を描いたシールを貼ったのは去年の夏のことで、「ムギのおうち」と書いてある。字がまだ少し歪んでいる。その歪みが、今の凛の等身大だ。

朝、ムギの毛に顔を埋めて深呼吸する凛の横顔を、私はよく見ている。あの柔らかな毛の感触、かすかに甘い獣の匂い、ムギのぬくもりが伝わるたびに、凛の肩がすとんと落ちる。安心、という言葉をまだ知らないころから、凛はすでにその感覚を知っていた。

大きくなるにつれて「責任感が育った」という声も増えていく。
凛もきっと、そうなっていくのだろう。ムギとのふれあいが、彼女の中に何かを静かに積み上げている。

子どもとペットが並んで眠る夕暮れ時の部屋は、騒がしくも穏やかだ。そこには、言葉にならない何かが漂っている。それを「幸せ」と呼んでいいのかどうか、まだよくわからない。でも少なくとも、本物の時間だとは思う。ムギが来てから、我が家の五月の朝は、以前より少しだけ明るくなった。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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