ペットと育つ、子どもの時間――ふれあいが教えてくれたこと

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秋の夕暮れどき、窓から差し込む橙色の光がフローリングの上にゆっくりと伸びていた。その光の中に、うちの娘・さくら(6歳)と、我が家の柴犬・むぎが並んで座っている。さくらはむぎの耳をそっと触り、むぎはされるがままに目を細めている。その光景を見ながら、ああ、この子たちはいつの間にこんなに仲良くなったんだろう、と思った。

むぎがやってきたのは、さくらが3歳になったばかりの春のことだ。ペットとの生活がこれほど子どもの成長に影響するとは、正直なところ、最初はあまり想像していなかった。むぎはよく吠え、さくらはよく泣き、私はよく途方に暮れた。ペットを迎えるって、こんなに大変なことだったっけ、と何度思ったかわからない。

でも、季節が変わるたびに、ふたりの関係は少しずつ変わっていった。

最初の夏、さくらはむぎを怖がって近づけなかった。むぎが尻尾を振るだけで「わあっ」と後ずさりしていた。それが秋になると、おそるおそる手を伸ばすようになり、冬には一緒に毛布にくるまって昼寝をするようになっていた。子どもの適応力というのは、本当に侮れない。

ふれあいの時間が増えるにつれ、さくらの言葉も変わっていった。「むぎ、寒くないかな」「お腹すいてるかな」と、自分以外の生き物のことを考えるようになったのだ。それまでは「おなかすいた」「あれほしい」ばかりだったのに。親として、これは正直うれしかった。

ある朝のこと。さくらが自分でむぎのごはんを用意しようとして、フードをざざっと床にこぼした。そのまま固まって、上目遣いで私を見る。むぎはすでに床に落ちたフードを勢いよく食べ始めていた。「……むぎはよろこんでるからいいか」とさくらが小声でつぶやいたのを、私は聞き逃さなかった。心の中で「それは違う」と思いつつも、笑いをこらえるのに必死だった。

ペットとの生活は、きれいごとだけではない。むぎが体調を崩したとき、さくらは「むぎ、どこかいたいの?」と何度も聞いていた。答えてもらえないことへの戸惑いが、子どもなりに伝わってくるようだった。そのとき私は、自分が子どもの頃に飼っていた文鳥のことを思い出した。具合が悪そうに丸まっている文鳥を前に、何もできなくてただ見ていた、あの無力感。さくらも今、同じような気持ちを抱えているのかもしれない。

インテリアショップ「ハルノネ」で見つけた小さな木製のペットフードスタンドを、さくらは「むぎのごはんのお家」と呼んでいる。毎朝、そこにフードを入れることが、今ではさくらの大切な仕事になった。むぎが近づいてくると、「まってまって、まだだよ」と言いながらも、どこか誇らしそうに手を動かしている。責任感というものが、こんなふうに育まれていくのだと、じわりと感じる瞬間だ。

夕方、散歩から帰ったむぎの毛には、草の匂いと、かすかな土の湿り気が残っている。さくらはその毛に顔を埋めて「くさい、でもすき」と言う。五感で何かを感じ取ることの豊かさを、むぎは日々さくらに与え続けている。言葉では教えられないことを、ふれあいを通じて体で覚えていく。それが子どもの成長というものなのかもしれない。

むぎも、さくらも、まだまだ途中だ。むぎは相変わらず宅配便のチャイムに全力で反応するし、さくらはたまにむぎのおやつを自分で食べようとする。それでも、この家の中には確かな温かさがある。ペットとの生活は、子どもに何かを「教える」というより、子どもが自分で「気づいていく」場所なのだと、今はそう思っている。

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**文字数:約1,930文字**

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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