ペットと育つ、子供の成長物語——ふれあいが教えてくれること

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四月の終わり、リビングの窓から柔らかい西日が差し込む時間帯のことだった。七歳の娘・はなが、床に寝そべったトイプードルのムギの背中に、そっと頬を押しつけていた。ムギの毛は、春の陽光を吸い込んだようにほんのりと温かく、わずかに草のにおいがした。娘はそのまま目を細め、うとうとし始める。ペットとの生活というのは、こういう何気ない瞬間の積み重ねなのだと、改めて思う。

ムギがわが家にやってきたのは、はなが四歳の誕生日を迎えて間もないころだった。当時の私は、子供にペットを持たせることへの迷いを抱えていた。世話ができるだろうか、責任感はあるだろうか——そんな問いが頭をぐるぐると回っていた。それでも、近所のペットショップ「パウレット」のガラス越しに、まんまるの目でこちらを見つめてきたムギの顔を見た瞬間、もう迷う余地はなかった。

心理学の研究では、ペットとの間にちゃんと絆ができている子どもは、そうでない子どもよりも、人への思いやりや温かさを持っているという結果が出ている。
その言葉を後になって知ったとき、はなの変化を振り返って深く納得した。

最初のころ、娘はムギを「おもちゃ」のように扱っていた。尻尾を引っ張ったり、いきなり抱きかかえようとしたり。ムギが小さく鳴くたびに、私はそっとはなの手を止めて言い聞かせた。「ムギも痛いって思うよ」と。それを繰り返すうちに、娘は少しずつムギの表情を読み取るようになっていった。
世話をしながら一緒に過ごすことで、ペットに対して「愛着」が生まれ、その愛着の気持ちが、自分よりも弱いもの、小さいものを守ろうとする「養護性」を育んでいく。
まさにそのとおりだと思う。

ふれあいの時間は、日常のどこにでも紛れ込んでいる。朝ごはんの前に、はなが自分でムギのドライフードを計量カップで測って器に入れる。その手つきは最初ぎこちなかったけれど、今では慣れた手の動きになった。こぼしてしまったフードを一粒ずつ拾い集める姿を見ながら、ああ、この子は確かに育っているのだと感じる。

子どもとペットの関係づくりについては、「ペットの遊び相手になる」が最も多く、続いて「ペットのごはんの世話をする」が多くなっている。
アンケートの数字は、うちの日常とぴったり重なっていた。はなにとって、ムギはもはや「友達」であり、時に「弟」のような存在でもある。

先日、娘が学校から帰ってきたとき、珍しく泥だらけのまま玄関に立っていた。体育で転んだらしく、膝に擦り傷を作っていた。泣くでもなく、怒るでもなく、ただ「ムギに会いたかった」とだけ言って、まっすぐリビングへ向かった。そしてムギの柔らかい腹に顔を埋めて、しばらくそのままでいた。ムギは逃げることもなく、ただじっとしていた。——そのとき私は思わず、「ムギ、なんて優秀な……」と心の中でひっそり唸ってしまった。

子どもが成長する時期に家庭にペットがいると、子どもは優しく、強く、健やかに育つことは、すでによく知られている。子どもの成長過程にペットが果たす役割については、1980年代から情操教育に良いことが科学的に検証されている。
それでも、こうして自分の目で見ると、データや言葉では追いつかない何かがある。

大きくなるにつれて「ストレスが緩和されるようになった」や「責任感が育った」という声が増加する。
はなもいつかそういう段階に入っていくのだろう。今はまだ、ムギと転げ回って笑うだけの時間が続いているけれど、その笑い声の中に、確かに何かが育まれていると感じる。

子供の成長とは、親が意図して与えるものだけで成り立つわけではない。ムギと過ごす朝の光の中で、娘は言葉にならない何かを学んでいる。命に触れること、世話をすること、そして誰かのそばにいることの意味を。ペットとの生活は、そういう静かで確かな教室なのかもしれない。

窓の外では、四月の夕風がカーテンをゆらしていた。床の上で、ムギとはなは並んで眠っていた。二つの寝息が重なって、部屋の中にただ穏やかな時間が流れていた。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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