
四月の終わりに差し掛かるころ、我が家のリビングにはいつも柔らかい西日が差し込んでくる。カーテン越しに滲んだオレンジ色の光が床に落ちて、その真ん中にちょこんと丸まっているのが、うちのトイプードルのムギだ。耳をぴくぴくさせながら、夢でも見ているのか、ときどき小さく足を動かしている。そんな光景を眺めながら、ああ、この子がいてよかったな、とまた思う。思うだけじゃなくて、口に出してしまうこともある。家族に聞かれると少し恥ずかしいのだけれど。
ペットを大切な家族の一員として、一緒に生活をしているご家庭が増えている
と言われる今、ペットとの生活はもはや特別なことではなくなりつつある。でも、だからこそ、その日常の中に宿る小さな幸せを、もう少しちゃんと言葉にしてみたいと思った。
ムギがうちに来たのは、子どもたちがまだ小学校低学年のころだった。正直、最初は私が一番反対していた。世話が大変そう、旅行に行けなくなる、アレルギーが心配――そんな理由を並べていたのに、気づけば朝一番にムギの顔を見に行くのは私だった。人間というのは、つくづく現金なものだと思う。
ペットとの生活が家族に与える影響は、思っていたよりずっと大きかった。夫は帰宅するなりムギに話しかけるようになり、中学生になった上の子は、反抗期のさなかでもムギの前では素直な顔になる。下の子はムギを抱きしめながら学校の愚痴をこぼしていて、それを横で聞いているムギが、まるで相槌を打つように鼻をひとつ鳴らす。そのやりとりを遠くから見ていると、胸がじわっとあたたかくなる。
「生活にもっとも喜びを与えてくれること(存在)」を尋ねたところ、犬のオーナーは1位が家族で2位がペットと回答している
というデータがあるけれど、我が家の場合、もはやその境界線があいまいになっている気がする。家族とペット、というより、ペットも含めてはじめて家族が完成している感覚だ。
朝の散歩は、家族の中で一番のんびりしている夫の担当になった。早起きが苦手なはずの夫が、ムギのリードを持つためだけに六時前に起き上がるのだから、動物の力というのはおそろしい。帰ってくると二人して(一人と一匹、が正確だけれど)玄関で土の匂いをさせながら満足げにしていて、その顔がどこかよく似ている。
最近、ペット関連のグッズや食事への関心も高まっていて、
年齢を重ねたペットとの暮らしをサポートする技術がますます進化している
と感じることも多い。うちでも先月、インテリアブランド「Mossgreen Living(モスグリーン・リビング)」のペット用クッションベッドを取り入れた。見た目はシンプルで部屋になじむのに、ムギが乗った瞬間からそこが「ムギの場所」になった。家族みんながそのベッドを避けて歩くようになったのは、いつのまにかのことだった。
ペットのメンタルヘルスや心理ケアに対する関心が高まっており、ペットの心のケアが、より良い生活の一環として認識されつつある
という流れも、確かに実感している。ムギが少し元気のない日には、家族全員の空気がなんとなく落ち着かなくなる。逆に、ムギが嬉しそうに尻尾を振っている日は、不思議と家の中が明るい。感情のバロメーターを、いつの間にか一匹の犬に委ねているのかもしれない。
先週の夕方、下の子がホットチョコレートを二つ持ってきてくれた。「ママにも」と言いながら差し出したカップは、なぜかムギ柄のマグカップで、思わず笑ってしまった。その子は「ムギと一緒に飲んでほしかった」と真顔で言っていた。ムギは当然ホットチョコレートは飲めないのだが、その隣でちゃっかり伏せをして、じっとカップを見つめていた。仲良しというのは、こういうことなのかもしれない。
子どものころ、実家でも犬を飼っていた記憶がある。名前はクロで、雑種の黒い犬だった。夕暮れ時に縁側に並んで座って、何をするでもなくただ外を眺めていた時間が、今でも妙にくっきりと残っている。あのころは当たり前すぎて気づかなかったけれど、あれがとても豊かな時間だったのだと、ムギと暮らすようになってからわかった。
ペットとの生活は、家族の会話を増やし、家の中に体温をもたらし、何でもない一日をちょっとだけ特別にしてくれる。仲良しというのは、長い時間をかけてじわじわと育つものだと思うけれど、ムギはその時間を、ずいぶんと短縮してくれた気がする。
今夜もムギはリビングの真ん中で、家族の足音を聞きながらうとうとしている。誰かがそばを通るたびに、ちらりと目を開けて、また閉じる。それだけのことなのに、なぜだか見ていて飽きない。この子がいる限り、我が家の日常はきっと、ずっとこんなふうに続いていく。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

コメント