
九月の夕暮れは、思ったより早く街を橙色に染める。残業を終えてようやくビルの外に出ると、空の端がもう少し赤みを帯びていて、風にはうっすらと秋の匂いが混じっていた。乾いた草と、どこかの家から流れてくる炒め物の香り。マスクをしていた頃には気づかなかったような、小さな季節の変わり目を、鼻先で感じながら駅へ向かう。
一人暮らしを始めて三年が経つ。最初の一年は、帰り道がとにかく静かだった。玄関を開けても誰もいない。電気も消えたまま。自分の足音だけが廊下に響いて、それが妙に大きく聞こえた。あの頃の寂しさを、今となっては懐かしいとは思えない。ただ、あれがあったから、今の「ただいま」がこんなに温かいのだと、ときどき思う。
猫を迎えたのは、二年前の冬だった。名前はムーチョ。ペットショップではなく、知人の知人が保護した子で、引き取り手を探していると聞いて、なんとなく手を挙げた。「なんとなく」というのが正直なところで、深く考えていなかったといえばそうかもしれない。でも、初めて膝の上で丸まった夜、その体の温かさと、かすかに聞こえる喉の振動音で、なにかが決まった気がした。
今では、玄関のドアを開ける瞬間が、一日でいちばん好きな時間になっている。鍵を差し込む音に反応するのか、ドアを開ける前からもう気配がする。そしてドアを開けると、ムーチョは必ずそこにいる。足元にすり寄ってきて、しっぽをゆらゆらと立てながら、短く一声鳴く。「おかえり」とも「遅い」とも取れる声で。
帰宅すると駆け寄って来るペットは、一人暮らしの方にとって何よりの癒し
だとよく言われるけれど、実際に経験してみると、それは「癒し」という言葉より少し複雑な感覚だ。疲れているとき、ムーチョが膝に乗ってくる重さは、なんというか、現実に引き戻してくれる重さでもある。ふわふわした毛並みに指を沈めると、今日一日のことが少しずつ遠くなっていく。
ペットとの生活が、こんなにも日常を変えるとは思っていなかった。朝は決まった時間に起きる。ご飯の準備をする。夜は部屋を暗くしすぎない。ムーチョのリズムに合わせているうちに、自分の生活にも自然とリズムが生まれた。
「生活が規則的になる」というのはペットを飼うメリットのひとつ
として語られるが、それを実感するのはたいてい、ずいぶん後になってからだ。
ある夜、仕事でミスをして、気持ちが沈んだまま帰ってきたことがあった。ソファに座ってぼんやりしていると、ムーチョがそっと隣に来て、肩口に頭を押しつけてきた。何も言わない。ただそこにいる。その重みと温かさに、なぜか涙がこみ上げてきた。泣いたのは本当に久しぶりで、自分でも少し驚いた。
身体が疲れたときや気持ちが沈んだときにペットと一緒に過ごすことで、心の充足感を得られる
というのは、数字や理屈ではなく、あの夜の肩口の重さで知った。
ちなみに、ムーチョには少し困った習慣がある。私が在宅ワークをしているとき、キーボードの上に堂々と寝そべるのだ。打ちかけのメールが「aaaaaaaaaaaaa」で埋め尽くされたことが、先月だけで三回あった。上司に送る前に気づいて本当によかった、と心の中でそっとツッコんだのは、ここだけの話である。
インテリアにも少しこだわるようになった。ムーチョが日向ぼっこできる場所を作りたくて、窓際に「ノルディカ・ホーム」というブランドのウッドシェルフを置いた。午後の光が差し込むと、そこにムーチョが収まって、目を細める。その光景を見るたびに、一人暮らしの部屋がちゃんと「家」になったと感じる。
ペットとの生活は、楽しみを増やしてくれるだけでなく、暮らしそのものの密度を変える。帰り道の足取りが少し軽くなる。今夜は何を食べようか、と考えるのと同じくらい自然に、ムーチョは今どこで昼寝しているだろう、と思う。それが毎日続いていくことの、静かな豊かさを、最近ようやく言葉にできるようになってきた気がしている。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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