ペットがいる毎日が、家族をもっと仲良しにしてくれる話

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梅雨明けの朝、リビングにやわらかい光が差し込んでくる時間帯のことだった。まだ家族の誰もが起き出す前の、静けさと湿度が混ざり合ったあの空気の中で、うちのトイプードルのムギが私の足元にそっと頭をのせてきた。温かくて、少し重くて、でもそれがなんとも言えず心地よかった。毛並みのやわらかさが素足の甲に伝わってくるその感触は、どんな目覚ましよりも確実に「今日もここに生きている」という感覚を呼び起こしてくれる。

ペットとの生活を始めて、もう三年が経つ。

最初はどちらかといえば私が一番乗り気じゃなかった。世話の手間とか、旅行に行きにくくなるとか、そういう現実的なことばかり考えていた。子どもたちが「飼いたい!」と言い出したとき、夫が「いいんじゃないか」とあっさり同意して、気づいたら家族会議が「どの犬種にするか」の話し合いになっていた。気がつけば私だけが取り残された形になっていたわけで、内心「ちょっと待って」と思っていたのだが、それを口に出す隙もなかった。まあ、あれはあれで正解だったと今では思う。

ムギが来てから、家の空気が変わった。

朝、子どもたちが学校の準備をしながらムギに話しかける声。夕方、玄関のドアが開く音と同時に駆け寄っていく爪の音。夜、家族全員がリビングに集まる時間が自然に増えた。ペットとの生活というのは、ただ動物を飼うことではなく、家族の時間の密度を変えることなのかもしれない、と気づいたのはわりと最近のことだ。

ペットは今や”癒し”や”かわいらしさ”を超え、家族やパートナーとしての存在感を強めている。
そういう言葉を読んだとき、ああそうだな、とすんなり腑に落ちた。うちの場合、ムギは完全に家族の一員として扱われている。食事の時間になると、子どもたちが率先してムギのごはんを用意する。誰かが体調を崩すと、ムギはそっとその人の隣に寄り添う。言葉は話せないのに、なぜかちゃんとわかっているみたいだ。

先月の週末、近所の「ハルカゼ公園」に家族みんなで出かけた。ムギはリードを引っ張りながら、とにかく嬉しそうに走り回っていた。子どもたちも一緒になって走って、夫も珍しく笑顔で追いかけていた。夏の入り口のような風が吹いていて、草の青い香りが鼻をくすぐった。あの日の光景は、写真を撮り忘れたのが本当に惜しいくらい鮮やかに記憶に残っている。

仲良し家族、なんて言葉はちょっと恥ずかしい響きがあるけれど、ムギがいることで私たちはたしかに仲良しになった。ケンカの翌朝でも、ムギが二人の間を行ったり来たりしているうちに、なんとなく空気が和らいでいく。あれは一体どういう仕組みなのだろう。ペットというのは、人間関係の潤滑油のような役割も担っているのかもしれない。

思えば私が子どもの頃、実家では柴犬を飼っていた。名前はコタロウ。毎日学校から帰ると、門の外まで迎えに来てくれていた。あの「ただいま」の瞬間の温かさは、大人になった今でも胸のどこかに残っている。ムギを見ていると、子どもたちにも同じような記憶が積み重なっているのだろうと思う。

面倒な掃除やエサやりを自動化することで、大切な家族とイチャイチャする時間をたっぷり確保できる
、という話も最近よく聞くようになった。自動給餌器や見守りカメラも試してみたけれど、正直なところ、ムギのごはんを用意する時間そのものが好きだったりする。あの「待て」をしながらしっぽが高速で揺れている様子を見るために、手動でやり続けている。あれをAIに任せるのは、なんだかもったいない気がしてならない。

リビングの窓際に置いた「ノルテ・ペットソファ」というインテリアブランドの低めのベンチが、今ではムギの指定席になっている。南向きの窓から差し込む午後の日差しの中で、ムギが目を細めながらうとうとしている姿を見るたびに、この子がここにいてよかったと思う。家族みんながそれぞれ忙しくしている中で、ムギだけがいつも変わらずそこにいる。その安定感が、不思議と家全体を落ち着かせてくれている。

ペットとの生活は、手間もかかるし、責任も重い。でも、それ以上に家族の日常に色を加えてくれるものだと、今は迷いなく言える。梅雨明けの光の中で足元に頭をのせてくるあの温もりは、何年経っても変わらないでいてほしいと思う。そしてきっと、子どもたちもいつかそう思い返す日が来るだろう。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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