ペットがいる毎日が、子供の心をそっと育てていく話

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十月の朝は、空気の質がまるで違う。夏の重さがどこかへ消えて、窓を開けると冷たさと甘さが混じったような風が入ってくる。そんな朝に限って、うちの柴犬・こむぎは玄関マットの上で丸くなったまま、一ミリも動かない。起こすのが申し訳なくて、しばらくそのまま眺めてしまう。ペットとの生活というのは、こういう「何もしない時間」が案外いちばん豊かだったりする。

娘が四歳になった春に、こむぎがうちへやってきた。最初はおそるおそる、指先だけで触れようとしていた娘が、今では朝ごはんを食べながらこむぎの耳をくしゃくしゃと触り、「もちもちしてる」と言う。その感触を、娘はもう体で知っている。言葉より先に、手が覚えてしまったのだ。

子供とペットのふれあいには、不思議な力がある。
ペットとの生活を通じて感受性を育み、命の大切さを学ぶことができる
という調査結果もあるけれど、そんな大げさな話ではなく、もっと日常のレベルで何かが変わっていく。こむぎが水を飲むとき、娘は自分のコップを持って隣に座る。「いっしょに飲もう」と言って。それだけのことが、なんとも言えずあたたかい。

犬とのふれあいを通じて、「1人1人が違っていいんだ」という個性を学び、弱者への思いやりや他者への理解促進にも繋がっている
という声もある。確かにそうかもしれない。こむぎは雨の日に散歩を嫌がり、娘の大好きなぬいぐるみには興味を示さず、でも夕方になると必ず娘の隣にやってきて体を押しつける。気まぐれで、自分の意思がある。そういう存在と毎日関わることで、娘は「思い通りにならないこと」を怒らずに受け入れるようになった気がする。

ただ、笑えることもある。先日、娘がこむぎに「おやつあげる」と言いながら、自分のビスケットを差し出した。こむぎはそれを一瞬嗅いで、くるりと背を向けた。娘は三秒ほど固まってから、「……食べてくれなかった」と静かに報告してきた。こちらとしては「そりゃそうだ」と思いながらも、その小さな失恋に何も言えなかった。

夕暮れどき、オレンジ色の光が部屋の床に伸びてくる時間帯。こむぎはいつも窓際に移動して、目を細める。その横に娘が寄り添って、同じように外を見ている。二人(一人と一匹)の背中が、逆光でシルエットになる。その光景を、わたしはキッチンから眺めながら、なんとなくインテリアブランド「ハルノネ」の古いカタログに載っていた一枚の写真を思い出す。人と犬が窓辺に並んでいる、ただそれだけの写真。あの頃は「こんな暮らし、絵みたいだな」と思っていたのに、今はそれが毎日ある。

子供が生まれる前、ペットを飼うことへの迷いがあった。世話の手間、アレルギーの心配、旅行のこと。でも今になって思うのは、こむぎがいることで娘の毎日に「生きているものの気配」が加わったということだ。体温があって、呼吸をしていて、機嫌があって、眠る。そういう存在がそばにいる日常は、子供の感覚をやわらかくしてくれる。

ペットとの生活は、教育でも訓練でもない。ただ、一緒にいる。それだけのことが、子供の中に静かに積み重なっていく。こむぎが朝マットの上で丸くなるように、娘の心の中にも、やわらかくて温かいものが少しずつ形をつくっているのだと思う。十月の風が今日も窓から入ってきて、カーテンが揺れる。こむぎはまだ動かない。娘は「起こさないであげよう」と言った。去年の娘なら、絶対に揺り起こしていたのに。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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