
玄関のドアを開けた瞬間、空気が変わる気がする。
十月の夜、外はもう肌寒くて、コートの裾に風が入り込んでくる。残業を終えて最寄り駅から歩いて十二分。くたびれた足が、ようやくアパートの三階へたどり着く。鍵を回して、ドアを押す。その0.5秒後には、もうそこにいる。
茶トラの猫、コムギが、ドアのすぐ内側でこちらを見上げていた。
鳴くわけでもなく、飛びつくわけでもない。ただ、いる。それだけなのに、なぜだろう、肩の力がすとんと抜けた。
帰ってくるといつもお出迎えしてくれる、ひとりじゃないと実感できる——
そういう感覚が、確かにある。言葉にしてしまうと少し恥ずかしいけれど、正直なところ、それが今の一人暮らしの楽しみのひとつになっている。
—
ペットとの生活を始めたのは、去年の春のことだった。
引っ越してきたばかりの1Kの部屋は、静かすぎた。冷蔵庫のモーター音だけが響く夜、なんとなくスマートフォンをいじって、気づいたら保護猫の里親募集のページを眺めていた。衝動ではなかった、と思う。でも、計画的でもなかった。
猫は散歩が不要で、飼い主の不在時間がある程度長くても問題なく過ごせる
という現実的な理由が後押しして、気づいたら申込書を書いていた。
コムギが来た日、キャリーバッグから出てきた彼は、まず部屋の隅に一時間ほどじっとしていた。こちらがそっとしておくと、ようやくソファの下を調べ始め、次にキッチンの匂いを嗅ぎ、最後に私の膝の上に乗ってきた。自分のペースで距離を縮めてくる、その感じが妙に好きだった。
—
一人暮らしというのは、自由である反面、帰る理由が薄い。
仕事終わりに同僚と飲みに行っても、帰宅が深夜になっても、誰も困らない。それが気楽でもあり、ときどき少し空虚でもあった。でも今は違う。コムギのご飯の時間がある。水を替えてやらないといけない。そういう「帰る理由」が生まれた。
ペットを飼うことで生活が規則的になる、という声は多く、暮らしにいい変化をもたらしている
というのは本当で、気づいたら残業もほどほどにするようになっていた。
—
夜、部屋に戻ってお湯を沸かす。
「ノルンブレンド」という近所の小さなコーヒー豆屋で買った豆を挽いて、ペーパードリップで一杯入れる。香ばしい湯気が台所に広がる頃、コムギはもうソファの背もたれに陣取っていて、こちらをじっと見ている。コーヒーが気になるのか、私が気になるのか、どちらかわからない目つきで。
ふと、子どもの頃に実家で飼っていた柴犬のことを思い出す。名前はクリといって、帰宅するたびに玄関で尻尾を振り続けていた。あの頃は当たり前すぎて、ありがたみなんて考えたこともなかった。一人暮らしになって初めて、あの温度の意味がわかった気がする。
—
ペットを「人間と同じくらい大切な家族」と考える人が約8割にのぼる
という調査結果があるけれど、それは大げさでも何でもないと思う。言葉を交わすわけでも、表情を読み取り合うわけでもないのに、確かに通じ合っている感覚がある。
ある夜、疲れてソファに倒れ込んだら、コムギがそっと胸の上に乗ってきた。重い。正直、かなり重い。動けない。でも動かなかった。——というか、正確には動けなかったのだが、まあそれはそれで悪くなかった(心の中で「この子、絶対わかってやってる」と思ったのは内緒だ)。
—
ペットとの暮らしは、日々の生活に癒しや楽しみをもたらしてくれる。
それは間違いない。でも、もう少し正確に言うなら、ペットとの生活は「ここに帰ってくる理由」をくれる。十月の夜、冷えた外気を連れて玄関を開けるたびに、コムギはそこにいる。何も言わず、ただそこにいる。それだけで、今日も一日が終わる気がした。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

コメント