
五月の朝は、やわらかい。カーテンの隙間から差し込む光が、フローリングの上にうすく伸びていた。その光の中に、うちの柴犬・麦太がいた。丸くなって眠っているわけでも、遊んでいるわけでもなく、ただじっと、四歳の娘・ひなたの顔を見つめていた。ひなたはまだ寝ぼけ眼で、パジャマのまま床に座り込んでいる。そのふたりの間に漂う空気が、なんとも言えず静かで、温かかった。
ペットと暮らしている子どもは、動物を「親しみやすい、一緒にいると安心する存在」として感じる傾向が強い
という調査結果がある。それを読んだとき、あの朝の光景がすぐに浮かんだ。理屈ではなく、ひなたと麦太がそうやって毎朝向き合っているのを見てきたから、その言葉がすとんと胸に落ちた。
ペットとの生活を始めたのは、ひなたが二歳になる少し前のことだ。正直に言えば、最初はわたし自身が不安だった。子供がまだ小さいうちに犬を迎えることへの迷いもあったし、世話が回るかどうかという現実的な心配もあった。それでも、「この子に何か大切なものを育んでほしい」という気持ちが、最後には背中を押した。
ペットという別の生き物に興味を持ち、一緒に遊んだり世話をしたりすることは、愛情や思いやりを学んだり、責任感や協調性を育んでくれる
。そういった言葉を、麦太が来てから何度も実感することになった。
ひなたが三歳を過ぎたころ、麦太のごはんの時間を一緒に手伝わせるようにした。小さなスコップでドライフードを計量カップに入れるだけの作業なのに、彼女はものすごく真剣な顔でやる。こぼしてしまっても、床に落ちたひとつぶを拾い上げて「ごめんね、むぎた」と言う。その姿を見るたびに、胸がじわりと温かくなる。一度だけ、計量カップではなく麦太の水入れにフードをザバッと全部入れてしまったことがあって、麦太が水飲み場の前で困惑した顔をしていたのはご愛嬌である(あの表情は本当に申し訳なさそうで、こちらが笑いをこらえるのに必死だった)。
ふれあいの時間は、夕方が多い。西日がリビングに差し込んで、床が橙色に染まる時間帯。ひなたが麦太の背中に頬を押し当てると、麦太はちょっとだけ顔を向けて、また前を向く。その毛並みの感触——ふわりとしていて、少しだけ体温を持っていて——が好きだとひなたは言う。わたしも子供のころ、実家の近所の駄菓子屋「ことぶき堂」の前にいつも座っていた野良猫を、毎日なでていた。あの感触と、どこか似ている気がする。
ペットフード協会の調査では、18歳になるまでの成長期に動物と触れ合う経験が増えるほど、成人後もペットとの生活を望む傾向が高い
という。それはきっと、子供のころに刻まれた感覚の記憶があるからだと思う。温かさ、重さ、においのやさしさ——そういうものが体に残っているから、大人になっても動物のそばにいたくなるのかもしれない。
最近、インテリアと暮らしを提案するブランド「ハルノネスト」のカタログを見ていたら、ペットと子供が一緒に過ごせるローソファや、フローリングを傷めにくいラグの特集が組まれていた。ペットとの生活が、家のつくりかたや暮らしの選択にまで影響を与えるようになってきている。それだけ、ペットが家族の中心に近い場所にいるということだろう。
ペット飼育のきっかけは「かわいいから」だけでなく、「ともに暮らすため」へと変わってきた
という言葉が、今の時代をよく表している気がする。麦太はうちのペットであり、ひなたの友達であり、朝の光の中で静かに寄り添う存在だ。
ひなたが最近、「むぎたが大きくなったら、いっしょにおさんぽしたい」と言った。麦太はすでに成犬なのだけど、ひなたの中ではまだ「一緒に育っている」感覚があるのかもしれない。それはたぶん、正しい。ふれあいを重ねるたびに、ふたりの関係は少しずつ深くなっている。ペットとの生活は、子供の心をそっと、でも確かに育てていく。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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