ペットと子供が育てあう毎日——ふれあいが紡ぐ、ペットとの生活のやさしい物語

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七月の朝は、思いのほか早く明ける。まだカーテン越しにしか光が届かない時間、リビングの床に寝そべった柴犬の「むぎ」が、ふいに耳をぴくりと動かした。台所から漂ってくるトースターの香ばしいにおいに反応したのか、それとも二階で目を覚ました娘の足音を聞きつけたのか。どちらかはわからないけれど、むぎはゆっくりと立ち上がり、階段のほうへ向かっていった。

六歳になった娘の莉子は、毎朝むぎのところへ真っ先に降りてくる。パジャマのまま、寝癖を直すより先に。二人はしばらくの間、リビングの隅でごろごろしている。莉子がむぎの耳の後ろをかいてやると、むぎは目を細めて、ふうっと鼻から息を抜く。その音が妙に気持ちよさそうで、見ているこちらまでほっとしてしまう。

ペットがいる家庭の子どもにとって動物は「親しみやすい、一緒にいると安心する存在」という回答が多い
という調査結果がある。莉子を見ていると、その言葉がそのまま体現されているように感じる。むぎが家にやってきたのは莉子が三歳のころで、当時はまだお互いにぎこちなかった。莉子はむぎの前足をぎゅっと握りすぎてしまうし、むぎは莉子の甲高い声に驚いて部屋の隅に逃げてしまうこともあった。それが今では、言葉もなく通じ合っているように見える。

ペットと暮らした経験を持つ子は、ペットとの生活を通じて感受性を育み、命の大切さを学ぶことが分かった
という。我が家でもそれは確かに感じていた。先月、むぎが少し体調を崩して元気がなかった日、莉子は夕ご飯のあとずっとむぎの隣に座って、背中をそっと撫でていた。「ねえ、むぎ、大丈夫?」と何度も小声で話しかけながら。その姿を見て、思わず目頭が熱くなった。

ペットとの生活は、こちらが想像するよりずっと子供の内側に入り込んでいく。

イヌのように一緒に遊ぶ、散歩をするなど「互いに触れ合う」という関係が向社会的行動を発達させると考えられる
という研究もある。莉子はこの春から近所の公園へむぎと散歩に行くことを習慣にしていて、リードをしっかり握って歩く後ろ姿が、少し前よりずいぶんしっかりして見えた。

ふれあいは、ただ「なでる」だけじゃない。ごはんをあげる、水を換える、ブラッシングをする。そういう小さな世話のひとつひとつが、子供の中に静かに積み重なっていく。莉子が使っているブラシは、インテリア雑貨ブランド「ノルディスタ」のもので、木製の持ち手が手のひらにちょうどいい重さで収まる。莉子はそれを大事そうに両手で持って、むぎの背中を丁寧にとかしている。

子どもの情操教育において、ペットの存在が大きな助けとなるのは間違いないだろう。ペットという別の生き物に興味を持ち、一緒に遊んだり世話をしたりすることは、愛情や思いやりを学んだり、責任感や協調性を育んでくれる。

ただ、正直なところ、最初はうまくいかないことのほうが多かった。むぎのごはんの時間を忘れて莉子が泣き、私もつられてあわてて台所に走ったこともある。一度など、莉子がむぎのおやつを「自分も食べてみたい」と言い張って、私がそれを止めるのに五分かかったこともあった——心の中でそっとツッコんだ、「それは絶対だめ」と。

それでも、失敗しながら覚えていくのが、ペットとの生活というものかもしれない。

夕暮れ時、西日がリビングに斜めに差し込んでくる頃、むぎと莉子は決まって並んで窓の外を眺めている。むぎの毛並みに夕陽の橙色が混じって、莉子の横顔がやわらかく光る。その光景には、何か言葉にしにくいものが宿っている。温かくて、少しだけ切なくて、それでいてとても豊かな何か。

家族の中で緩衝材としての役割をペットがしてくれる
という言葉を、最近になってようやく実感している。むぎがいるだけで、家の空気がすこし丸くなる。莉子が機嫌の悪い日も、むぎのそばに行くと少しずつほぐれていく。

ペットとの生活は、子供に何かを「教える」というより、子供が自然に「感じ取っていく」ものだと思う。むぎは何も語らない。でも莉子の中に、確かに何かを残している。それが、ふれあいというものの、静かで深い力なのかもしれない。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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