
七月の夕方、西日がリビングの床をオレンジ色に染めるころ、うちの娘・ひなたは決まってソファの端に座り、膝の上に白い小型犬のクッキーをのせていた。クッキーの柔らかい耳の付け根を人差し指でゆっくりなぞりながら、ひなたはその日あった出来事を話す。うまく言葉にならないことも、ぽつぽつと。クッキーはただ目を細めて、そこにいる。
ペットとの生活が、子供にとってこれほど豊かな時間をつくるとは、正直、迎える前には想像していなかった。
わたしが子どもの頃、実家には縁側に亀がいた。名前はカメ太。なんのひねりもない名前だが、毎朝登校前にレタスをちぎって差し出すのがわたしの仕事だった。その小さな責任感が、今になってみると妙に懐かしい。ひなたを見ていると、あの頃の自分が重なる。
ペットと暮らした経験を持つ子供は、ペットとの生活を通じて感受性を育み、命の大切さを学ぶことができる。
そういった調査結果は数字として存在するけれど、実感として腑に落ちるのは、やはり日々のふとした場面だ。
たとえば、先月のこと。ひなたが幼稚園で友達とうまくいかなかった日、帰ってきて黙ってランドセルを置いた。何があったか聞いても「べつに」と言うだけ。それでもクッキーのそばに座ると、少しずつ表情がほどけていった。クッキーが鼻先をひなたの手のひらに押しつけてきたとき、ひなたは声を上げずに泣いていた。その涙を、わたしは台所から黙って見ていた。ふれあいには、言葉よりも早く届くものがある。
幼少期にペットがいると、子どもたちの思いやりの心を育て、認知機能を発達させることが研究により証明されている。
ペットとの日常が、単なる「かわいい体験」にとどまらない理由がここにある。クッキーのごはんの時間になると、ひなたは自分から立ち上がる。「わたしがやる」という言葉が、最近ずいぶん自然に出てくるようになった。子供の成長というのは、こういう小さな「やる」の積み重ねなのだと思う。
夏の夜、窓を少し開けると、外から虫の声が流れ込んでくる。リビングにはほのかにクッキーの温かいにおいが漂っていて、ひなたが塗り絵をしながら鼻歌を歌っている。クッキーはその足元でうとうとしながら、ときどき耳だけぴくりと動かす。インテリアショップ「ハルノネ」で買ったリネンのブランケットが、二人分の体温でくったりと温まっていた。
ペットという別の生き物に興味を持ち、一緒に遊んだり世話をしたりすることは、愛情や思いやりを学んだり、責任感や協調性を育んでくれる。
それは教科書には載っていない、生活の中で育まれるものだ。
ひなたがクッキーに「おすわり」を教えようとした日のことは、笑いをこらえるのが大変だった。「おすわり!」と言うたびにクッキーはくるっと一回転し、なぜかひなたの後ろに回り込む。「なんで逆向きになるの」と首をかしげるひなたと、しっぽを振り続けるクッキー。二人の間で何が起きているのか、もはや謎だった。でもその15分間、ひなたは一度も怒らなかった。根気よく、何度も何度も「おすわり」と言い続けた。
子どもにとってペットは「兄弟・姉妹」という感覚で受け止められることが多く、ペットを家族の一員と考える人が大多数であることがわかっている。
ひなたにとってクッキーは、まさにそういう存在だ。叱る相手でも、従わせる相手でもなく、一緒にいる誰か。
ペットとの生活を通じて、ひなたが変わったことがある。人に対して「大丈夫?」と声をかけるようになった。友達が転んだとき、弟が泣いているとき、反射的に近づいていく。それがクッキーから学んだことかどうかは、証明できない。でも、わたしにはそう思えてならない。
子供の成長は、劇的な瞬間より、静かな積み重ねの中にある。七月の夕暮れ、クッキーの耳をなでるひなたの横顔を見るたびに、この子はちゃんと育っていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。ペットとともにある時間は、子供にとって何よりも豊かな教室なのかもしれない。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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