
七月の夜は、じわりと体にまとわりつくような熱を帯びている。駅から徒歩八分、アスファルトの照り返しを踏みながら歩くたびに、シャツの背中がじっとりと湿っていく。残業を終えて退社したのは午後九時過ぎ。コンビニの袋をさげた手が、少しだけ重い。
それでも、玄関のドアノブに手をかける瞬間だけは、不思議と足が軽くなる。
鍵を回すと、ドアの向こうから小さな気配がする。まだドアは開いていない。それなのに、もうそこにいるのがわかる。引き戸をそっと押し開けると、三毛猫のこむぎが、ちょうど視線の高さに座ってこちらを見ていた。目を細めて、しっぽの先だけがゆっくりと揺れている。
「ただいま」と言うと、返事のかわりに一声だけ鳴いた。
一人暮らしを始めたのは、二十六歳の春だった。最初の半年は、帰宅のたびに部屋の静けさが少し重たかった。誰かがいる音がしない。テレビをつけっぱなしにして寝ることもあった。そんなとき、近所のペットショップ「ハナモリ・アニマルズ」のガラス越しに、うずくまっていた三毛猫と目が合った。こちらを値踏みするような、それでいてどこかやわらかい視線だった。三日後には、こむぎが家にいた。
ペットとの生活は、想像していたよりずっと具体的だ。朝六時には腹を踏まれて起こされる。皿にごはんをよそう音に反応して、キッチンまでついてくる。爪を立ててソファの端を引っかく音が、どこかリズムのようで気にならなくなってきた。
ある夜、疲れてソファに倒れ込んだとき、こむぎがふわりと隣に乗ってきた。温かい、というよりもむしろ「熱い」と感じるほどの体温が、腕のすぐそばにある。夏場のこの季節、猫の体温はいっそう際立つ。それでも、どかす気にはなれなかった。部屋にはアロマブランド「ソワレ・ド・ボタニック」のラベンダーディフューザーをつけていて、かすかな香りが空気に溶けている。その香りの中で、こむぎは目を細めながらうとうとしていた。
一人暮らしの楽しみは、意外なところに転がっている。誰かに合わせなくていい夜の時間、好きな音楽をかけながら料理をする静かな充実感。でもそれとは別の種類の楽しみが、こむぎによって生まれた。「今日どうだった?」と声に出してみること。返事はないけれど、耳がぴくりと動く。それだけで、なんとなく話した気になれる。
子どもの頃、実家で犬を飼っていた。帰宅するたびに玄関で飛びついてくる犬の重さを、今でも体が覚えている。あの頃は当たり前だと思っていた「迎えられること」の意味が、一人暮らしになってからようやくわかった気がする。
こむぎとの生活で一度だけ、盛大にやらかしたことがある。ごはんの皿を床に置こうとしたとき、足元に先回りしていたこむぎの頭にそのまま皿が当たってしまった。中身がぱっと飛び散り、床がカリカリまみれになった。こむぎは一瞬固まったあと、何事もなかったように散らばったごはんを食べ始めた。怒るどころか、むしろ得をしたような顔をしていた。……こちらが謝る間もなかった。
ペットとの生活は、こちらの都合をあまり聞いてくれない。でも、それがいい。疲れていても、落ち込んでいても、こむぎは変わらず今夜もここにいる。玄関を開ける前から、もうそこにいる。
帰る場所があるということは、案外それだけで十分なのかもしれない。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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