
十月に入ったばかりの朝、台所に立つと窓の外の金木犀がふわりと香ってきた。秋の空気はどこか透き通っていて、カーテン越しに差し込む光が床に細長い影を落としている。そんな静かな朝のいちばん最初に動くのは、いつも決まって我が家の犬、麦(むぎ)だ。爪が床をカツカツと叩く音がして、リビングに顔を出すと、まだ眠そうな目をこすりながら小学三年生の娘がソファの端に腰かけ、麦の耳をそっと撫でていた。麦はそのまま目を細め、ほとんど溶けるように娘の膝に頭を乗せる。言葉なんて要らない。ペットとの生活には、そういう朝がある。
我が家が麦を迎えたのは、もう四年前のことになる。当時まだ幼かった娘は、初めて麦を抱いた瞬間、「あったかい」とだけ言って、それきり黙ってしまった。子どもが言葉を失うほどの温もりというのは、本物だと思う。あの記憶は今も鮮明で、麦の子犬のころの、あの丸くて柔らかい感触を思い出すたびに胸の奥がじんわりする。
ペットとの生活で欠かせないのが、毎日のペットの食事だ。麦は今、国産の鹿肉をベースにしたドライフードに、手作りのスープをかけて食べている。スープといっても大げさなものではなく、野菜を煮出した薄いだしに少しだけかぼちゃを溶かしたもの。これを作り始めたのは、去年の秋、獣医さんに「水分をもう少し摂らせてみては」と言われたのがきっかけだった。最初のころ、麦はスープをなかなか飲まなかった。器に鼻先を近づけては、ふんと一回息を吐いて離れていく。その繰り返しを三日ほど見守ったあと、ふと思いついてかぼちゃの量を倍にしてみたら、あっさり完食した。あの拍子抜けした感覚は今でも忘れられない。
ペットの体調管理は、家族全員で取り組んでいる。毎週末、息子(中学一年生)が体重を量る係で、専用のノートに日付と数値を記録している。獣医さんに「定期的な記録があると診察がとてもスムーズです」と言われて以来、もう一年以上続いている習慣だ。息子は最初こそ面倒くさそうにしていたが、今では自分から「麦、ちょっと来て」と呼びに行く。体重計に乗るのを嫌がる麦を、おやつで釣りながら乗せる姿は、なんというか、すっかり息子の仕事になっている。
ただ、先月は少し焦った。麦の食欲が二日ほど落ちて、いつもより元気がなかった。すぐにかかりつけの「グリーンパウズ動物病院」に連絡して診てもらったところ、季節の変わり目による軽い胃腸の不調だとわかり、食事の量を一時的に減らして消化のよいものに切り替えることになった。大事には至らなかったけれど、あのときの胸の締まるような感覚は、ペットを家族として迎えているからこそのものだと思う。
夜、家族四人でソファに集まると、麦は決まって真ん中に割り込んでくる。テレビの音、誰かの笑い声、娘がポップコーンを食べるときのパリッという音。麦はそのすべてをぼんやりした目で眺めながら、ゆっくりと瞼を閉じていく。その寝息がリビングに混ざり込むと、なんとも言えない安心感が部屋全体に広がる気がする。
ペットとの生活は、手間がかかる。食事も、体調管理も、散歩も、毎日のことだ。でも、その手間のひとつひとつが、気づけば家族の会話になり、子どもたちの責任感になり、夫婦の小さな共同作業になっていた。麦がいなければ、たぶん今ごろ我が家はもう少し静かだっただろう。静かで、少しだけ、何かが足りない感じがしただろう。
金木犀の香りはもう少しだけ続くらしい。今朝も麦は窓の外をじっと見ていた。何が見えているのかはわからないけれど、その横顔がとても穏やかで、思わずスマートフォンを置いて、隣に座った。そういう朝が、好きだ。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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