ペットと育つ、子供の小さな宇宙――ふれあいが教えてくれること

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十一月の朝は、空気がひときわ澄んでいる。台所の窓から差し込む光が、フローリングの上にうすく伸びて、そこにまるまった柴犬の「むぎ」が、まるで光を集めるために存在しているかのように見えた。

愛犬とずっと一緒に過ごしてきた子どもたちの成長記録が、SNSで25万回以上再生されて話題を呼んでいる。
そんなニュースを目にしたとき、うちの娘・はなのことを思わずにいられなかった。

はなが四歳になった春、むぎがこの家にやってきた。ちょうど桜が散りはじめた頃で、玄関を開けるたびに花びらが一枚ずつ舞い込んでくるような、やわらかな季節だった。段ボール箱の中でくんくんと鼻を鳴らすむぎを見たはなは、最初、一歩も近づこうとしなかった。こわいのか、それとも緊張しているのか、廊下の端っこにぴたりと張りついて、ただじっと見つめていた。

あれから二年が経つ。

今では、はなが「むぎ、おいで」と呼ぶと、むぎはどこにいてもぱたぱたと駆けてくる。その足音が、この家の日常になった。ペットとの生活というのは、気づかないうちに家の空気そのものを変えていくものだと思う。朝の散歩から帰ってきたむぎの濡れた肉球の冷たさ、ごはんを食べるときのリズミカルな咀嚼音、夕方の陽光の中で二人が並んでうとうとしている姿。それらが積み重なって、はなという子供の輪郭を少しずつ形づくっていった。

ペットという別の生き物に興味を持ち、一緒に遊んだり世話をしたりすることは、愛情や思いやりを学んだり、責任感を育んでくれる。
頭ではそう知っていたけれど、実際に目の当たりにすると、その変化はもっと静かで、もっと細やかだった。

はなが六歳になった秋のある日、むぎが庭の石につまずいて少し足を引きずった。そのとき、はなは黙って台所からタオルを持ってきて、むぎの足をそっと包んだ。「いたかったね」と、ひとこと言いながら。誰かに教わったわけでもなく、自然にそうしていた。ふれあいの時間が、言葉よりも先に何かを教えていたのだと思う。

動物とのふれあいは自己肯定感を高め、ストレスの軽減や心の安定にもつながる。
研究の言葉は、はなの顔を見ればよくわかった。むぎの隣にいるとき、はなはどこか別の場所にいるみたいに、ゆったりとした表情をする。

子供の成長というのは、親が思うよりずっと多くの場所で起きている。幼稚園の教室でも、絵本の中でも、そしてむぎのあたたかい背中の上でも。わたし自身、子どもの頃に近所で飼われていた雑種犬「クロ」に会うのが毎朝の楽しみだった記憶がある。クロの鼻先がひんやりしていて、手の甲に触れるたびにどきっとしたあの感触は、今でも不思議と指先に残っている。

ある週末、近くの「ハナノモリ公園」のドッグランへ出かけた。むぎが他の犬たちと走り回り、はなが柵の外からそれを応援している。「むぎ、いちばんはやい!」と叫んでいたけれど、実際にはむぎはほぼ最下位だった。(心の中でそっとツッコんでおいた。)

帰り道、はなはむぎのリードをしっかり握って歩いた。少し背筋が伸びていた。その後ろ姿を見ながら、ああ、この子はこうやって大きくなっていくんだな、と思った。

ペットは子どもの遊び相手にも、理解者にもなってくれる。
その言葉の意味が、ようやく腑に落ちた気がした。むぎははなの遊び相手であり、はなの話を黙って聞く存在であり、そしてはなが何かを感じるための鏡でもある。

ペットとの生活は、子供の成長を「加速」させるものではないかもしれない。でも、確かに「深く」していく。むぎがいるから、はなは誰かを思いやることを体で覚えた。ふれあいを重ねるうちに、言葉にならない優しさが、少しずつ育まれていった。

十一月の夕暮れ、むぎとはなが並んで窓の外を眺めている。オレンジ色の光が二つの影を長く伸ばす。どちらが先に飽きるかな、と思ったら、二人ともずっとそこにいた。

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**文字数:約1,950文字**

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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