会社から帰ると、ペットが待ってくれている——一人暮らしの楽しみが、ここにある

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鍵を差し込む瞬間、いつも少しだけ息を止める。

ドアを開けるより先に、気配がする。廊下の奥から、ぱたぱたと小さな足音。それから、ちょこんと座って、こちらをじっと見上げる茶白の猫——ムギ、という名の、わたしの一人暮らしの相棒。

帰宅した時刻は午後八時を少し回ったころ。十月の夜はもうすっかり冷えていて、玄関の空気がひんやりと頬を刺す。コートを脱ぎながら「ただいま」と言うと、ムギはひとつ「にゃ」と短く答えて、また自分のペースで部屋へ戻っていく。出迎えはする。でも媚びない。それがなんとも猫らしくて、わたしはいつも小さく笑ってしまう。

一人暮らしを始めたのは、三年ほど前のことだ。最初の数ヶ月は、帰宅のたびに部屋の静けさが少しだけ重かった。鍵を開けても、誰の声もない。靴を脱いでも、誰も待っていない。その「誰もいない」という感覚は、慣れるようで、じわじわと積み重なっていくものだった。

ムギを迎えたのは、そんな冬のことだった。ペットショップではなく、知人から譲り受けた。当時まだ生後四ヶ月で、手のひらに乗るくらい小さかった。最初の夜、段ボールの中で丸くなっているムギを見ながら、「この子の分まで、ちゃんと帰ってこよう」と思ったのを、今でも覚えている。

ペットとの生活は、思っていたより静かで、思っていたより豊かだった。

たとえば、朝。目覚ましより先にムギがわたしの顔の横に来て、ひげをくすぐる。寝ぼけた頭で「あと五分」と思っていると、今度は耳を甘噛みしてくる。これが毎朝の儀式で、正直なところ、少し迷惑だと思っている——でも、起きた瞬間に温かい生き物がそこにいるというのは、言葉にしにくいほど心強い。

仕事でうまくいかない日もある。企画が通らなかった日、上司に指摘が続いた日、帰りの電車でずっとスマートフォンの画面を見つめていた日。そういう夜、部屋に入った瞬間にムギがすり寄ってくるわけでもない。ただ、ソファのそばにいる。ごろんと横になって、しっぽをゆらゆらさせている。それだけで、なんとなく肩の力が抜けていく。

ムギと暮らし始めてから、部屋に「ノルドフォレスト」というブランドのウールのブランケットを買った。人間用に買ったはずなのに、今ではほぼムギ専用になっている。ある朝、そのブランケットの上でムギがうとうとしているのを見て、「これ、わたしのなんだけど」と心の中でそっとツッコんだことがある。声には出さなかった。起こすのが惜しかったから。

ペットと過ごす時間は、仕事や日常生活のストレスから解放される貴重な瞬間だ。
それは大げさな話ではなく、ごく日常の、ほんの小さな積み重ねとして実感している。ムギの毛並みに触れる感触、喉を鳴らすゴロゴロという低い振動、夜中にふと目を覚ましたとき足元に温かい重みがあること。五感のどこかが、いつもムギによって満たされている。

一人暮らしでは、自宅で一人で過ごす時間が長くなることがある。ペットがいることで家の中が賑やかになり、寂しさを感じにくくなるだろう。
それはたしかにそうだ。でも、わたしにとってはもう少し違う言い方をしたくなる。ムギがいるから「帰る場所」がある、という感覚に近い。会社での一日を終えて、電車を降りて、坂道を上って、鍵を開ける。その一連の動作のなかに、「ムギが待っている」という事実が、静かに灯っている。

一人暮らしの楽しみは、自由であることだとよく言われる。たしかにそれもある。でも、ムギと暮らすようになってから、楽しみの種類が少し変わった。「早く帰りたい」という気持ちが、以前とは違う重さを持つようになった。誰かのために帰る、という感覚は、自分が思っていたより、ずっと生活を豊かにするものだった。

今夜も、ムギはブランケットの上で丸くなっている。部屋の照明を落として、ぬるくなったほうじ茶を飲みながら、その寝顔を眺める。特別なことは何もない、十月の夜。それで十分だと、しみじみ思う。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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