
八月の朝は、やけに早い。カーテンの隙間から差し込む光がフローリングの上に細長い帯を描いていて、その上に、うちのトイプードルのムギがぴたりと寝転んでいた。気持ちよさそうに目を細め、前脚をだらりと伸ばして。見ているだけで、なんだか一日が少しやわらかくなる気がした。
ペットとの生活を始めたのは、三年前の秋のことだ。子どもたちが「どうしても飼いたい」と言い張り、夫は最初「世話が大変だから」と渋い顔をしていた。でも今では、夫が一番早くムギに声をかける。朝、リビングに降りてくるなり「おはよ、ムギ」と小声でつぶやいて、そのまま頭をなでる。その横顔を見るたびに、あの渋い顔はどこへ行ったのだろうと思う。
家族というのは、何かを一緒に迎え入れることで、また少し変わるのかもしれない。
ムギが来てから、家の中の会話が増えた。「今日ムギがこんなことした」「散歩でこの子に会った」「ご飯残してたけど体調大丈夫かな」。些細なことばかりだけれど、食卓での話題が自然とひとつ増えた。ペットとの生活は、家族の間に小さな共通言語をつくってくれる。それは思っていた以上に、じんわりと大切なものだった。
夕方の散歩は、小学三年生の娘の担当だ。リードを握りしめて、ムギと並んで歩く後ろ姿が、なんとも頼もしい。ただ、先週は帰ってきたとき二人ともどろどろで、玄関で固まっていた。公園の水たまりに突進したらしい。娘は「ムギが悪い」と言い、ムギはしっぽをぶんぶん振っていた。どちらも反省ゼロである。
夜、お風呂上がりにソファでくつろいでいると、ムギがするりとそばに来て、ひざの上に顎を乗せる。その重さが、ちょうどいい。温かくて、少し湿った毛の感触。かすかに草と土の混じったにおいがして、それが妙に落ち着く。子どものころ、実家で飼っていた柴犬のコタローも、こうして夜になるとそばに来ていたなと、ふと思い出した。あのころの縁側の感触と、虫の声と、線香花火の煙が、一瞬だけ鼻の奥をよぎった。
ペットと仲良しに暮らすというのは、特別なことではないのかもしれない。ただ、毎日の中に「その子の気配」があること。それだけで、家の空気がほんの少し変わる。
最近、インテリアにも少し気を使うようになった。ムギが安心して過ごせるよう、リビングの一角に「ハルモア」というブランドのペット用ベッドを置いた。くすんだグリーンのカバーがついていて、部屋の雰囲気にもなじんでいる。最初は使ってくれるか心配だったけれど、今ではムギの定位置になっている。家族全員が、そこに向かって「おやすみ」を言うようになった。
ペットとの生活は、手間もかかるし、予定が縛られることもある。旅行の計画を立てるたびに「ムギはどうする?」という話し合いが必要になる。それでも、帰宅したときに玄関で待っていてくれる、あの全力の喜びを見てしまったら、もうやめられない。
家族みんなで仲良しに暮らすということの意味を、ムギはたぶん知らないまま、毎日ただそこにいる。それで十分なのだと、最近ようやく思えるようになってきた。今日も夕暮れの光の中で、ムギが眠そうに目を細めている。窓の外から、遠くで子どもたちの声がする。こういう時間が、続いていけばいいと、ただそれだけを思う。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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