家族みんなで楽しむペットとの生活——毎日が、ちょっとだけ特別になる理由

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五月の朝は、光の角度がちがう。

カーテンの隙間からやわらかく差し込む朝の光が、フローリングの上に細長い帯を描いていた。その帯の上に、うちのトイプードルの「むぎ」がぴたりとおさまって、うとうとしていた。目を細めて、耳だけぴくぴく動かしている。まるで光の中で夢を見ているみたいに。

ペットとの生活は、こういう小さな光景の積み重ねでできている。

子どものころ、実家にいた柴犬の「たろ」のことをよく思い出す。学校から帰るたびに玄関で迎えてくれて、ランドセルを下ろす間もなく体にぶつかってきた。あの体の重さと温かさは、今でも手のひらに残っている気がする。あのとき感じた「帰ってきた」という安堵感が、今のわが家にも確かにある。むぎがいるから、玄関を開けるのが少し楽しみになった。

わが家は夫婦と小学生の娘ふたり、そしてむぎの五人家族だ。

休日の朝、娘たちがまだ眠っている時間に、むぎだけが台所にやってくる。コーヒーを淹れる音を聞きつけるのか、それともただ習慣なのか、毎週土曜日の七時ごろ、必ずそこにいる。豆を挽く低いモーター音、湯気の立ち上るかすかな香り——そういう感覚ごと、むぎとの朝は記憶に刻まれていく。

最近、近所にオープンした「ノルドパーク」というドッグランつきの公園に、家族で出かけるのが週末の定番になった。芝生の上を走り回るむぎの後ろを、下の娘が笑いながら追いかけている。上の娘は少し離れたベンチに座って、スマホでむぎの動画を撮っている。夫はというと、むぎが疲れて戻ってくるのを待ちながら、缶コーヒーを飲みながらぼんやりしている。

それぞれがバラバラに見えて、でも確かに同じ場所にいる。

ペットとの生活が家族を仲良しにする、というのはよく聞く話だけれど、正確にはすこし違う気がしている。仲良くさせてくれるというより、「一緒にいる理由」を自然につくってくれる、という感じだろうか。むぎの散歩のために夕方外へ出る、むぎのごはんを誰が準備するか決める、むぎが体調を崩したときに心配する——そういう小さな共有事項が、家族の会話を増やしていく。

先日、ちょっと笑えることがあった。

夫がむぎのために買ってきた新しいおもちゃ——ロープを結んだだけのシンプルなやつ——を、むぎが完全に無視した。代わりに夫の靴下を咥えて得意顔で走り回っていた。夫が「えっ、なんで」と困惑している横で、娘たちがお腹を抱えて笑っていた。むぎも何かを察したのか、靴下をくわえたまま尻尾を振っていた。あの瞬間の、居間いっぱいに広がった笑い声が、たぶん今年いちばん大きな声だったと思う。

ペットとの生活は、計画通りにいかないことの連続だ。

散歩中に急に動かなくなる。ソファの上で寝るくせに、ベッドを買い与えると使わない。ごはんを残すと思ったら翌日は皿をなめるほど食べる。そのたびに「なんで」と思うけれど、その「なんで」を考えているとき、人はたぶん今この瞬間だけに集中している。

ペットという別の生き物に興味を持ち、一緒に遊んだり世話をしたりすることは、愛情や思いやりを学んだり、責任感や協調性を育んでくれる。
とも言われている。娘たちがむぎのごはんの時間を気にかけるようになったのも、むぎが体を震わせていたときに「寒いのかな」と毛布を持ってきたのも、確かにそういうことなのかもしれない。

夕暮れどき、家族が揃って夕食を終えたあと、むぎはいつも誰かの足元に丸まる。その日の気分で相手が変わる。娘の膝の上だったり、夫のスリッパのそばだったり、私のそばだったりする。どこへ行くかは、むぎが決める。

その小さな体の重みが、今日も確かに、この家の中にある。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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