
七月の朝は、思ったより早く明ける。
カーテンの隙間から滑り込んでくる光が畳の上に細長い縞を描いて、その縞の上にちょうど丸まって眠っているのが、我が家の柴犬・むぎだ。耳だけがぴくりと動いて、それからまた静かになる。まだ起きなくていい、そう言っているみたいで、思わず笑ってしまった。
ペットとの生活というのは、こういう小さな瞬間の積み重ねでできている。
我が家には夫と、小学二年生の娘・ことねと、むぎがいる。むぎが来たのは三年前の秋のことで、あのころ娘はまだ保育園児だった。段ボール箱の中でぷるぷる震えていた子犬が、今では娘の背丈に迫るほど立派になった。時間が経つのは早い、とよく言うけれど、むぎと一緒に過ごした時間だけは、妙に濃くて手触りがある気がする。
朝のルーティンはだいたい決まっている。夫が先に起きてコーヒーを淹れ、その香りにつられて私が起き出し、むぎがわっと飛びついてくる。娘はいちばん最後に、寝ぐせのついた頭でのそのそとリビングに現れる。そのころにはすでにむぎの朝ごはんの準備が始まっていて、ステンレスのボウルにドライフードを計量スプーンで量り入れる「かりかり」という音が、台所に響く。
ペットの食事については、むぎが来た当初からずっと気を使ってきた。
最初のころは正直、何がいいのかさっぱりわからなくて、ペットショップで勧められたフードをそのまま使っていた。でも娘が「むぎのごはん、ちゃんと栄養あるの?」と聞いてきたのをきっかけに、家族みんなで調べ直した。
食事のトレンドとしても、基本的な栄養から消化や皮膚、水分補給、健康的な老化といった具体的な目的に向けた食事へとシフトしてきている
という話を知ってから、うちでも素材の確認をするようになった。今は「ナチュラルフィールド」というブランドのグレインフリーフードをメインに、週に二、三回は鶏のゆで汁をかけてあげている。むぎが顔を突っ込む勢いで食べてくれるのを見るたびに、ちょっとだけ誇らしい気持ちになる。
ペットの体調管理も、家族みんなの仕事だ。
2026年現在、ペットとの暮らしはテクノロジーの力でずいぶん変わってきていて、体調の変化にいち早く気づくためのツールも充実してきている
。うちでもスマートフォンのアプリで食事量と体重を記録しているけれど、正直なところ、一番頼りになるのはやっぱり毎日の観察だと思っている。むぎの目が輝いているか、鼻が乾いていないか、散歩のときの足取りに元気があるか。そういうことを、家族それぞれが自分なりの目線で見ている。夫は歩き方、娘は「今日のむぎ、なんか元気ない気がする」という直感、私は食いつきの様子。三者三様で、それが意外と機能している。
ひとつ、忘れられない出来事がある。
去年の冬、むぎが二日続けてごはんを半分しか食べなかった日のこと。娘がランドセルを背負ったまま「むぎ、大丈夫かな」とぽつりと言って、そのまま学校に行った。その後ろ姿を見て、胸がきゅっとなった。結局、むぎは軽い胃腸炎で、獣医さんに診てもらってすぐ回復したのだけれど。あのとき娘がいちばん最初に気づいていたことを、今でも時々思い出す。
子どものころ、実家でも猫を飼っていた。「たま」という名前の、白黒のありふれた猫だったけれど、私の布団にもぐりこんでくる重さと温もりが、今でも指先に残っている気がする。むぎが私の足元で丸くなるとき、その感触がふっとよみがえる。動物と暮らすということは、記憶を重ねていくことなのかもしれない。
年齢を重ねたペットとの暮らしをサポートする技術もますます進化していて
、シニア期に向けた備えを考える飼い主も増えているという。むぎはまだ三歳で、元気いっぱいだけれど、それでも「この子が老いていく未来」を、ぼんやりと思うことはある。だからこそ今、毎日の食事を丁寧に、体調の変化を見逃さずに、一緒に過ごす時間をなるべく濃くしていたい。
夕方、散歩から帰ってきたむぎは、玄関でぶるぶると体を震わせて水を飲む。娘がタオルで足を拭いてあげようとするのだけれど、むぎは途中でそのタオルをくわえて引っ張り始めて、ふたりでしばらく引っ張り合いをしている。夫がそれを見てコーヒーを吹きそうになっていた(ちゃんと飲み込んでいたけれど、惜しかった)。
笑い声が上がって、むぎのしっぽが揺れて、夕暮れの光がリビングに差し込んでくる。
ペットとの生活は、特別なことなんて何もない。でも、その何でもない毎日が、家族の形をつくっていると思う。むぎがいるから、私たちはちゃんと「今日」を生きている。そんな気がする、七月の夕方だった。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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