
玄関のドアノブに手をかける瞬間、いつもと少しだけ気持ちが変わる。
残業を終えて帰る夜、9月の空気はまだ生ぬるくて、それでも昼間よりはずいぶんと涼しい。アスファルトに残った熱が足元からじんわり伝わってくる。バッグの重さが肩に食い込んで、今日も疲れたな、とぼんやり思いながら、マンションの廊下を歩く。でも、ドアの前に立つと、なぜかその疲れが少しだけ薄まる気がした。
鍵を回す音がした瞬間、ドアの向こうからかすかな気配がした。
猫のムギは、毎晩この音を聞き分けているらしい。ドアを開けると、廊下の奥から小走りで駆けてきて、足元でくるりと一回転する。声も出さず、ただそこにいる。その小さな仕草が、なんとも言えない。言葉にすると陳腐になってしまうから、うまく説明できないのだけれど。
ペットと触れ合うことは癒しの効果が非常に高く、医療機関でも病気の改善に取り入れられているほど
だと聞いたことがある。そういう話を読んだとき、「そうか、これは医学的にも正しいことだったのか」と妙に納得した記憶がある。
一人暮らしを始めたのは、3年前のことだ。
当時は「静かな部屋」に憧れていた。誰にも気を遣わない空間、自分だけのペース、好きなときに眠れる自由。それはそれで悪くなかった。でも、夜が深くなるにつれ、静けさが少しずつ重くなっていくのも感じていた。テレビをつけっぱなしにしたり、わざとスマホで音楽を流したりしながら、その重さをごまかしていた。
ムギが来たのは、そんな冬の終わりだった。
近所の保護猫カフェ「ノルカ」で出会ったとき、彼は棚の上でうとうとしていた。こちらが近づいても目を開けず、ただ耳だけをこちらに向けた。その無防備な寝顔に、なぜか胸を突かれた。
猫はマイペースなところが魅力だが、しつこくかまわなければ自然と距離を縮めてくれるという愛嬌のある一面もある。
まさにその通りで、ムギは最初の一週間、押し入れの奥に引きこもり続けた。こちらが呼んでも無視。ごはんだけ食べて、またするりと消えていく。正直、少し傷ついた(笑)。
でも、ある朝、気づいたら布団の上で丸まっていた。
それからのペットとの生活は、少しずつ変わっていった。朝、目が覚めるとムギが窓辺で外を見ている。9月の朝の光が斜めに差し込んで、その輪郭が金色に縁取られる。そんな景色を見ながらコーヒーを淹れる。豆はいつも「タビタビブレンド」という架空のような名前のローカルショップのもので、少しスモーキーな香りが部屋に広がる。その香りにつられてムギが台所をのぞきに来る。当然コーヒーには興味がないのに、なぜか毎朝確認しにくる。
帰宅すると駆け寄って来たり、おもちゃを使って一緒に遊んだりできるペットは、一人暮らしの方にとって何よりの癒し
だと言われる。本当にそうだと思う。ただ、ムギの場合、「駆け寄る」というより「出迎えに来る」という感じで、どこか品がある。急がない。でも、必ずいる。その「必ずいる」という事実が、一人暮らしの夜をずいぶん変えた。
ペットとの暮らしを通して、一人暮らしの寂しさが紛れたり、メリハリのある生活を送れるようになったりした人も少なくない。
自分もその一人だと思う。ペットとの生活が始まってから、帰宅の時間が楽しみになった。もう少し早く帰ろう、と思うようになった。ムギのごはんの時間に間に合わせたいという、小さくて具体的な理由が、自分の行動を変えていった。
夜、ソファに座ると、ムギが隣に来てごろりと横になる。
毛並みに手を当てると、温かくて、少し湿った感触がある。ゆっくりと上下する呼吸が、手のひらに伝わってくる。テレビの音も、外の車の音も、どこか遠くなる。こんなに静かなのに、さっきまでの静けさとはまったく違う。
一人暮らしの楽しみは、自分でつくるものだと思っていた。
でも本当は、誰かと——たとえ言葉を持たない誰かと——共有することで、はじめて楽しみになるものもある。ムギはそれを教えてくれた。玄関のドアを開けるたびに、毎回。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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