
七月の夕方、西日が斜めに差し込むリビングに、ふわりと温かい重さが膝の上に乗ってきた。我が家のトイプードル、麦(むぎ)だ。生後三年になる彼は、誰かがソファに腰を下ろすと、まるで磁石に引き寄せられるように近づいてくる。その柔らかな毛の感触と、鼻先からほんのり漂うペット特有のあたたかい匂い——これが、私たちの「ペットとの生活」の、いつもの始まり方だ。
思えば、麦を迎える前の我が家はどこか静かすぎた。夫と私、小学三年生の娘の三人暮らし。食卓での会話は弾んでいたけれど、どこかそれぞれが自分の時間の中にいた気がする。麦が来てから、リビングに「みんなで同じものを見る時間」が生まれた。家族という言葉が、もう少し実感を持って胸に響くようになったのは、きっとそのころからだと思う。
娘の名前は花音(かのん)。彼女と麦の仲良しぶりは、もはや言葉にするのが追いつかないほどだ。朝、花音が目を覚ますと、麦はすでに彼女の部屋の前で待っている。ドアが開いた瞬間に尻尾をぶんぶん振って、花音が「おはよう、むぎ」と言うより先に顔をぺろりとなめる。花音はそのたびに「きゃっ」と笑い声をあげ、その声でようやく私も目が覚める。目覚まし時計より確実で、しかもずっと愛おしい朝だ。
ペットとの生活は、想像よりずっと「体で覚えるもの」だと感じている。散歩のルーティン、ごはんのタイミング、トリミングの予約。最初はすべてが新しくて、夫と私は何度もスマートフォンのカレンダーを見返した。今では麦の方が時間に正確で、夕方五時になると玄関のほうをじっと見つめ始める。あの視線の重さといったら——飼い主として、少々プレッシャーを感じないでもない(笑)。
子どもの頃、私の実家にも一匹の柴犬がいた。名前は「たろ」。ひどく臆病で、雷が鳴るたびに押し入れに逃げ込む犬だった。その記憶が、麦を迎えるきっかけのひとつになったのかもしれない。あの頃の「動物と暮らす感覚」が体のどこかに残っていて、麦の寝息を聞くたびに、懐かしいような、あたたかいような気持ちになる。
夏になると、散歩のルートを少し変える。いつもの住宅街を抜けて、近くの「みどり川沿い遊歩道」へ向かう。朝の七時、木漏れ日がアスファルトに揺れて、川沿いの草の匂いが風に乗ってくる。麦はその道が好きで、いつもより鼻をくんくんさせながら歩く。花音はサンダルをぱたぱた鳴らしながら麦のリードを握り、夫は少し後ろをのんびり歩く。家族三人と一匹の、ほんの三十分の朝の時間。これが今年の夏で一番好きな景色かもしれない、と思いながら、私はいつも少し遅れてついていく。
最近、麦のために選んだグッズは、インテリアブランド「ノルトハウス」のリネン素材のクッションだ。落ち着いたベージュ色で、リビングの雰囲気にすっと馴染む。ペットグッズもインテリアの一部として選ぶ時代になったんだな、と思いながら、麦がそのクッションをくんくん嗅いで、一周してから別の場所で寝ていたときは、さすがに少し笑ってしまった。
ペットとの生活は、家族のあり方をそっと変えていく。喧嘩しても麦がいると不思議と空気が和らぐし、疲れて帰ってきた夜も、玄関で尻尾を振って待っていてくれる存在がいると、それだけで肩の力が抜ける。花音は麦のおかげで「命の重さ」を少しずつ学んでいるような気がするし、夫は散歩を通じて近所の人たちと話すようになった。
仲良し、という言葉は、努力して作るものだと思っていた。でも今は少し違う気がしている。麦がいることで、自然と顔を合わせる時間が増えて、笑う回数が増えて、気づいたら家族がもっと仲良しになっていた。ペットは、家族の「のりしろ」みたいな存在なのかもしれない。
今夜も麦は夫の足元で丸くなって眠っている。エアコンの風が静かに流れる部屋の中、花音の寝息と、麦の小さな寝息が重なって聞こえる。この音が、今の私たちの「しあわせの音」だと思う。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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