
夏の夕方、西日がリビングのフローリングをオレンジ色に染める時間帯がある。その光の中で、うちのトイプードルの「ムク」がぺたんと腹を床につけて伸びている。ああ、暑いんだな、と思いながら、私もつられるようにソファにだらりと沈み込む。エアコンの風がカーテンをほんの少しだけ揺らして、どこかで蝉が鳴いている。ペットとの生活というのは、こういう何でもない瞬間が積み重なってできているのだと、最近しみじみ感じている。
ムクがうちに来たのは、娘が小学二年生のときだった。あの日の朝、ペットショップから抱えて帰ってきたムクは、手のひらにすっぽり収まるほど小さくて、震えていた。娘はそれ以来、ムクの隣でしか宿題をしなくなった。夫は「犬は苦手だ」と言い張っていたのに、気づけば毎朝いちばん先に起きてムクにご飯をあげている。家族というのは、こんなふうに少しずつ変わっていくものらしい。
ペットとの生活が始まってから、家族の会話が増えた。「今日ムクがソファの上でくるくる回って、ようやく丸まったと思ったら、すぐ起きた」とか、「散歩で柴犬に吠えられて固まってた」とか。どれも取るに足らない話なのに、夕食の席で笑い声が絶えない。以前は各自がスマートフォンを見ながら食べていた夕食が、今では誰かがムクの話を始めると自然と顔が上がる。
息子が中学に上がってから、少し口数が減った時期があった。部活のこと、友人関係のこと、親には話しにくいことが増えてくる年頃だ。でも不思議なことに、ムクと並んでリビングに転がっているときは、ぽつりぽつりと話し始める。ペットには余計な言葉を返さないから、安心するのかもしれない。ムクはただ、息子の膝に顎を乗せてうとうとしながら、聞いている。それだけで十分なのだと思う。
子どもの頃、実家で飼っていた猫のことを思い出す。名前はシロで、愛想がなくて、呼んでも来ない猫だった。それでも、学校から帰ると必ず玄関に座っていた。あれは出迎えだったのか、単なる偶然だったのか、今でもわからない。でも、あの小さな存在がいるだけで、家に帰るのが楽しかった。ペットとの生活が持つ力というのは、昔も今も変わらないのかもしれない。
最近、インテリア雑貨のブランド「ノルデリア」のペット用クッションを買った。北欧風の柔らかいグレーで、ムクのサイズにちょうどいい。ところがムクは一度も使わず、隣に置いた古いバスタオルの上でしか寝ない。三千円のクッションより、くたびれたバスタオルのほうが落ち着くらしい。——正直なところ、少し悔しい。
仲良しというのは、努力してなるものではないのかもしれない。ムクと過ごしていると、そう思う。一緒に朝の光を浴びて、同じ空気を吸って、たまに目が合って、それだけで何かが積み上がっていく。家族もきっと同じで、大きなイベントや特別な旅行よりも、こういう毎日の小さな断片が、じわじわと絆を育てているのだろう。
夏の終わり、夕方の散歩でムクが急に立ち止まって、道端の草をしばらくにおいかいでいた。急ぐわけでもないから、私も立ち止まって空を見上げた。入道雲がゆっくり形を変えながら流れていた。風がほんの少し涼しくなっていた。ペットとの生活は、こんなふうに立ち止まる時間をくれる。家族みんなで仲良しでいられるのは、もしかしたらムクのおかげなのかもしれない、と、そのとき静かに思った。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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