
鍵を回す音がする。それだけで、部屋の奥から小さな足音が聞こえてくる。
四月の夜、仕事帰りの空気はまだ少しひんやりしていて、コートの袖口に春の匂いが混じっている。駅から歩いて七分の1Kのアパート。玄関のドアを開けた瞬間、ふわりと温かい空気が顔に当たる。室内の温度と外気の差が、一日の終わりを体に知らせるような感覚だ。そしてすぐに、ソファの端でうとうとしていたはずの猫——ムギが、ゆっくりと目を開けてこちらを見る。
「寝てたくせに」と心の中で軽くツッコミを入れる。でも、起き上がってとことこ歩いてくるその足音が、どうしようもなく愛おしい。
帰りが遅い日でも、玄関近くの窓で待っていることがある。
そんな話を友人から聞いたとき、「うちの子もそうだよ」と思わず笑顔になった。ペットとの生活は、そういう小さな積み重ねでできている。
一人暮らしを始めたのは、三年前の春だった。最初は自由で気楽で、それなりに楽しかった。でも夜、誰もいない部屋に帰ってくると、どこか音が足りない気がしていた。テレビをつけても、スマホを見ても、埋まらない何かがあった。子どもの頃、実家には常に誰かがいた。母が台所で夕飯を作る音、父が新聞をめくる音——そういうものが、当たり前すぎて気づかなかった「生活の気配」だったのだと、一人になって初めて分かった。
「生活に癒しがほしかった」という理由でペットを迎えた人は、調査でも43.5%にのぼる。
わたしもその一人だった。ムギを迎えた日のことは、今でもよく覚えている。ペットショップではなく、知人の紹介で譲り受けた、生後四ヶ月の雑種猫。段ボール箱の中でまるくなっていたあの子が、今やソファの主になっている。
しれっと膝の上に座ってきたり、寝るのが分かると我先に布団へ寝ころび、撫でられ待ちをしたりする。
その仕草がいちいちおかしくて、笑えてくる。疲れた夜でも、ムギの背中に触れると、指先からじわりと温もりが伝わってくる。毛並みの柔らかさは、インテリアブランド「ネストリーフ」のウールブランケットより断然気持ちいいと、個人的には思っている。
仕事で疲れて帰ってきたときや、日常生活がうまくいかないとき、ペットがいてくれるだけで沈んだ気持ちが回復する。
これは本当にそうで、言葉では説明しにくいのだけれど、生き物がそこにいるというだけで、部屋の空気が変わる。
もちろん、楽なことばかりではない。
ペットを飼うと、月々のフード代に加え、ワクチン接種や薬、季節に応じた冷暖房費など、継続的に必要な費用がかかる。
一人暮らしの財布には、それなりに響く。旅行の計画を立てるたびに、預け先を探すのも手間だ。でも、それを差し引いても余りある何かが、ペットとの生活にはある。
愛犬や愛猫がいることでストレスが軽減されリフレッシュでき、毎日が元気に過ごせているという声も多い。
わたし自身、ムギを迎えてから帰宅が楽しみになった。残業が続く週も、「早く帰らなきゃ」という気持ちが自然と生まれる。
夜、ムギが窓辺で外を眺めている横に座って、ハーブティーを飲む時間が好きだ。カップの縁から立ち上る湯気、窓ガラスに映る室内の灯り、そしてムギの喉が鳴るかすかな音。それだけで、一日がちゃんと終わった気がする。
家に帰った時にペットが待ってくれていると、癒されて疲れが飛んでいく。
その感覚は、何度経験しても新鮮だ。「ただいま」と言える相手がいる。それが、一人暮らしの楽しみをこんなにも変えるとは、ムギに会うまで知らなかった。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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