ペットと育つ、子どもが育つ——ふれあいが紡ぐ、ちいさな成長の物語

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五月の終わりの夕方、西日がリビングのフローリングに長い影を引いていた。その光の中で、うちの犬のムギ(トイプードル、推定4歳)がうとうとしながら丸くなっていて、6歳の娘の莉子がそのそばにそっと手を伸ばした。触れるか触れないかの距離で、指先だけをムギの背中にちょんと置く。ムギは目を半分開けて、また閉じた。その瞬間だけ、家の中の時間がほんの少し、ゆっくりになった気がした。

ペットとの生活を始めてから、もうすぐ3年になる。最初は正直、不安の方が大きかった。子どもがまだ幼いうちに犬を迎えることへの戸惑い。世話は続けられるか、アレルギーは出ないか。でも今振り返ると、あのときの心配が少し懐かしくさえ感じられる。

莉子は最初、ムギを怖がっていた。近づくたびに後ずさりして、私の足の後ろに隠れていた。それが変わったのは、ムギが莉子の落としたクッキーのかけらを、おそるおそる舐めたあの午後からだった気がする。莉子が「わっ」と声を上げて、でもすぐにくすくすと笑い出した。その笑い声を聞いて、ムギの尻尾がぶんぶん振れた。なんだ、こんなにあっさり仲良くなるのか、と私は少し拍子抜けしたのを覚えている。

それからのふれあいは、毎日少しずつ積み重なっていった。朝、莉子が起きてくるとムギが駆け寄る。足元にまとわりつくムギを避けようとして、莉子がよろけて笑う。その繰り返しの中で、莉子はいつの間にか「ムギが嬉しいときは耳が立つ」「怖いときは尻尾が下がる」ということを、誰に教わるでもなく知っていた。

子供の成長というのは、親が意図して仕掛けるよりも、こういうさりげない日常の中でこそ深く刻まれるのかもしれない。莉子はムギのごはんの時間を自分で管理するようになり、ある朝、私が寝坊したとき(珍しいことではないが)、先に起きてムギのごはんをちゃんと用意していた。茶碗の量がちょっと多すぎたのはご愛嬌だったけれど。

ペットとの生活が子どもに与えるものは、責任感だけではないと思う。莉子がムギの毛並みをそっと撫でる手つきは、最初のあの恐る恐るの指先とはまるで違う。温かくて、やわらかくて、確かな重さを持っている。五感で感じることで育まれる何か——それは言葉では教えられないものだ。ムギの体温、毛の感触、草と土が混じったような独特の匂い、そして散歩から帰った後のパタパタという足音。それらすべてが、莉子の記憶の中に静かに積み重なっていく。

インテリアブランド「モスグリーンノルド」が手がけるペット共生型のリビング家具が最近話題になっているように、ペットと人が同じ空間で豊かに過ごすことへの関心は、今の時代に確かに広がっている。でも、どんなに素敵な環境を整えたとしても、子どもとペットの間に生まれる何気ない瞬間の価値には、きっと敵わない。

子どもの頃、私の実家にも雑種の犬がいた。名前はクロ。ありきたりな名前だったけれど、私にとってはかけがえのない存在だった。学校でうまくいかなかった日、クロの横に寝転んで、その腹の上下を感じながら泣いたことがある。何も言わないクロが、そのときいちばん頼りになった。莉子もいつか、そういう記憶を持つのだろうか。

ムギはまだ若い。莉子もまだ6歳だ。これからの時間の中で、ふたりはきっとまだたくさんのことを一緒に経験していく。転んで泣いた莉子をムギが舐めて、莉子がまた笑う、そんな夕方が、これからも続いていくといい。

西日が薄れて、部屋がすこしずつ青みがかってくる時間。ムギが伸びをして、莉子の膝に頭をのせた。莉子は本を読む手を止めずに、でも自然にムギの頭を撫でていた。ペットとの生活が育てるのは、動物への愛情だけじゃない。誰かのそばにいることの、あたたかさだと思う。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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