
六月の朝は、思いのほか早く明ける。カーテンの隙間からやわらかな光が差し込んで、フローリングの上に細長い影を落としていた。その光の中に、うちの犬のムギ——ミックス犬で、耳だけが不思議と垂れている——が丸くなって眠っていて、隣には娘の小さな手がそっと伸びていた。娘はまだ寝ぼけていて、ムギの背中に手を置いたまま、また目を閉じた。その光景を見ながら、わたしはコーヒーを一口飲んだ。ぬるくなっていた。
ペットとの生活を始めたのは、娘が五歳になった春のことだ。
子どもが4歳ごろになると、してよいことやダメなことの判別も上手になってくる時期で、初めてのペットを飼うならこの4歳以降が適切な時期といえる
と知って、少しだけ安心した記憶がある。それでも正直、最初はわからないことだらけだった。どう接させればいいのか、どこまで近づかせていいのか。
ムギが来た最初の週、娘はとにかく興奮していた。「ムギ、ムギ」と呼びながら追いかけ回し、ムギは逃げ、娘はまた追いかける。わたしは横で「そっとね、そっとね」と言い続けていたが、まったく届いていなかった。あの頃のムギの目には、明らかに「この子、何者……?」という困惑が浮かんでいた気がする。
でも、季節が変わる頃には、ふたりの間に何かが生まれていた。
秋の夕暮れ時、縁側に並んで座る娘とムギ。西日がオレンジ色に傾いて、娘の頬をあたたかく染めていた。娘がそっとムギの耳に触れると、ムギは目を細めて身じろぎもしない。あの静けさは、今でも鮮明に思い出せる。風が庭の金木犀をかすかに揺らして、甘い香りが流れてきた。
ペットと暮らした経験を持つ子は、ペットとの生活を通じて感受性を育み、命の大切さを学ぶことが分かった
というデータがある。わたし自身、子どもの頃に実家で猫を飼っていた。その猫はいつも台所の隅で丸くなっていて、母が夕食の準備をしているとき、じっと見守るように座っていた。その記憶は今もどこかやさしく、胸の奥に残っている。だから娘にも、そういう時間を持ってほしかった。言葉ではうまく説明できないけれど、ペットとのふれあいが子供の心の深いところに何かを刻むのだと、体感として知っていた。
ペットという別の生き物に興味を持ち、一緒に遊んだり世話をしたりすることは、愛情や思いやりを学んだり、責任感や協調性を育んでくれる
。娘もそうだった。ムギのごはんの時間になると、自分から食器を持ってくるようになった。水が減っていると「ムギ、のどかわいてるかな」とつぶやきながら補充する。そういう小さな積み重ねが、娘の中で何かを変えていったのだと思う。
ペットとの生活は、インテリアブランド「ハウスノワ」が提案するような、おしゃれで整然とした空間ばかりではない。現実はもっとにぎやかで、少しだけ散らかっていて、それでいい。ムギのおもちゃが廊下に転がっていて、娘の絵本がソファの上に開いたまま置いてあって、そんな日常の中にふれあいがある。
幼いころから動物を飼い、触れ合うことは、子どもたちに動物を思いやる心や周囲の人へ配慮する心を育む
という。それを実感したのは、ある雨の日の午後だった。娘が転んで泣いていると、ムギが静かに近づいてきて、娘の手をひとなめした。娘はしゃくりあげながら「ムギが心配してくれてる」と言って、少しだけ笑った。その笑顔が、なんともいえなかった。
子供とペットのふれあいには、もちろん注意も必要だ。
必ず大人の見守りのもとで短時間ずつふれあいを重ねることが、事故や感染症リスクを下げる鍵になる
。完璧な環境をつくることよりも、安全を大切にしながら、続けられる形で関わっていくことが、家族みんなの穏やかな日々につながる。
今朝も、娘はムギに「おはよう」を言ってから、自分のごはんを食べた。その順番が、いつの間にか習慣になっていた。ペットとの生活は、そういう小さな習慣を、そっと家の中に置いていく。気づけば、それが毎日の風景になっている。六月の光の中で、ムギはまた目を細めて、娘の足元に寄り添っていた。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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