
朝の六時ちょうど、助手席のクレートの中でムギ(三歳のビーグル)がくるりと一回転して、ようやく落ち着いた。エンジンをかけた瞬間に鼻をひくひくさせ、窓の外へ向かって耳だけ立てる。そのしぐさを横目で確認しながら、ハンドルを握り直した。今回の目的地は、長野県の山間にある小さな温泉地「奥朝霧」。片道およそ四時間半。ペットとの生活を始めてから、こんなにも遠くへ連れ出すのは、これが初めてだった。
長距離の移動は愛犬にも負担がかかるもの。とくに車が苦手なワンちゃんには、安全かつ快適に過ごすための準備が必要不可欠だ。
それは頭ではわかっていたのだが、実際に出発してみると、準備の甘さというのは思いがけないところから顔を出すものである。
高速に乗って一時間ほど経ったころ、ムギが低くうなり始めた。車酔いの前触れかと思ったが、よく見るとクレートの中で私のジャケットを枕にしてうとうとしていた——うなっていたのではなく、寝息だった。思わず心の中で「ただの寝言か」とツッコんでしまった。
ワンちゃんの状態にもよるが、一〜二時間ごとに休憩を挟んで外を散歩させたり、トイレをさせたりすることが大切だ。
最初のサービスエリアで車を止めると、ムギは地面に降り立った瞬間、鼻を低くして草のにおいをひたすらたどり始めた。四月の朝の空気は、まだどこか冷たくて湿っていて、芽吹いたばかりの草の青い香りが混じっていた。その匂いを吸い込みながら、私もしばらく空を見上げた。淡い水色の空に、雲がゆっくりと流れていた。
犬の適温の目安は21〜25℃とされており、クレートやキャリーの中は熱がこもりやすいため、愛犬の様子をこまめに確認し、車内の温度や空気の流れを調節することが重要だ。
春先とはいえ、日差しが強くなる午前中以降は油断できない。ダッシュボードに差し込む光が後部座席のクレートに当たっていないか、走りながら何度も確認した。サンシェードをきちんとセットしておいてよかったと思った瞬間だった。
車酔いを防ぐには、強すぎる芳香剤やドライブ直前の食事を避け、できるだけ穏やかな運転を心がけることが大切だ。
出発の二時間半前に朝ごはんを済ませ、車内の芳香剤も外しておいた。子どものころ、父の運転する車でよく酔った記憶がある。カーブのたびに窓に額を押し当てて、ひたすら遠くの山を見ていた。あの感覚を、ムギに味わわせたくなかった。
SAやPAには大勢の人がいる。中には動物アレルギーや動物が苦手な人もいるため、必ずリードをつけて行動することが大切だ。
休憩のたびにリードをしっかり確認する。それが、ペットとの生活において旅先でも変わらないルーティンになっている。
ドッグランやワンちゃん用の施設を利用するときには、一年以内の狂犬病予防接種証明書と混合ワクチン接種証明書が必要不可欠で、ワクチンの接種期限が過ぎていないかどうかの確認も必須だ。
そのあたりの書類は、「ワンパス」という名前で自作したファイルにまとめて助手席のポケットに入れてある。
愛犬と長距離移動するなら、高速道路を利用するのがおすすめだ。最近ではドッグランがついている高速道路も増えており、人間も愛犬も休憩することができる。
二度目の休憩で立ち寄ったパーキングには、小型犬用と大型犬用に分かれたドッグランがあった。ムギを放すと、最初は恐る恐るだったのに、数分後には全力で走り回っていた。その背中を見ながら、長距離移動の疲れがほんの少しほぐれていくのを感じた。
ペット同伴旅行は「のんびり滞在型」が好まれる傾向があり、施設が整っていれば「また来たい」「今度は別の季節に」というリピート率も高まるという。
焦らず、急がず、ムギのペースに合わせて走る。それがペットとの生活における旅のかたちだと、この道中で改めて思った。
奥朝霧に着いたのは昼を少し過ぎたころだった。チェックインを済ませ、縁側に腰を下ろすと、ムギが私の膝に顎を乗せてきた。山の風が、杉の香りを連れてきた。窓の向こうには、まだ雪の残る稜線が見えた。注意することはたくさんあった。でも、それ全部を越えてきた先に、この景色があった。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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