帰ってくるたびに、ペットがいる。一人暮らしに宿った小さな楽しみ

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五月の夕方、空がまだ少しだけオレンジを残している時間に、わたしはいつも同じ路地を歩いて帰る。仕事帰りの足取りはどこか重く、鞄の中に今日のため息が詰まっているような気がして、コンビニの前を素通りするのがやっとだった。

それでも、玄関のドアノブに手をかけた瞬間だけは、いつも少しだけ胸が軽くなる。

ドアを開けると、廊下の奥からパタパタという小さな足音が聞こえてくる。うちの猫、ムギが来る音だ。三歳のキジトラで、名前の由来は保護された日が麦秋の季節だったから。玄関に飛び込んでくるわけでもなく、かといって無視するわけでもなく、ちょうど一歩手前のフローリングのところで立ち止まって、こちらをじっと見上げてくる。その目が「遅かったじゃないか」と言っているような、「まあ、帰ってきたならよし」と言っているような、どちらにも読めるのがムギらしい。

仕事から帰宅すると玄関で待っていてくれる、そんな存在がいるというだけで、気持ちが変わる。
頭でわかっていたことが、毎日の積み重ねで体に沁みてくる感じ、とでも言えばいいだろうか。

一人暮らしを始めたのは四年前のことだ。当時住んでいたのは、インテリアブランド「ノルトハイム」のシェルフを一つ置いたら部屋の三分の一が埋まってしまうような、六畳一間の部屋だった。
毎日飼い主の帰宅を待っていてくれるペットがいると、孤独感が薄れてあたたかい気持ちになる
、とは聞いていたけれど、当時のわたしにはまだピンとこなかった。猫を迎えたのは、その一年後のことだ。

ムギとのペットとの生活は、最初から順風満帆だったわけではない。初めての夜、ムギはベッドの下からまったく出てこなかった。こちらが覗き込むたびに、奥へ奥へと後退していく。わたしは床に寝転がって「ムギ、ムギ」と呼び続け、気づいたら自分のほうが先に眠ってしまっていた。翌朝、顔の横にムギが丸くなっていたときの安堵感は、今でも忘れられない。

仕事で疲れて帰ってきたとき、嫌なことがあったとき、ペットがいてくれるだけで沈んだ気持ちが回復する。
それは本当のことだと思う。ただ、もう少し正確に言えば、ペットがいることで「帰る理由」が生まれる、という感覚に近い。残業が長引いた日も、「ムギのごはんがある」という一点で、席を立てる。

夜の部屋は、ムギがいるだけで音の質が変わる。ソファの上でグルグルと喉を鳴らす音、水を飲む音、窓の外の何かを見つめて尻尾だけがゆっくり揺れている気配。静かなのに、無音ではない。一人暮らしの部屋というのは、ともすれば自分の呼吸だけが聞こえるような静けさになることがあるけれど、ムギがいる夜はそうならない。

ペットとの暮らしを通じて日々の癒しや新たな楽しみを発見していくことで、毎日がもっと充実したものになる。
それは確かだ。たとえばわたしは今、仕事帰りに少し遠回りをして魚屋に寄ることがある。ムギが煮干しの出汁の香りに反応するのを見たくて、わざわざ昆布と一緒に買って帰る。以前だったら絶対にしなかったことだ。

ある晩、疲れてソファに倒れ込んだとき、ムギがそっと膝の上に乗ってきた。重さがある。温かい。毛並みに指を沈めると、ほんの少しだけ体の力が抜けた。
猫はしれっと膝の上に座ってきたり、撫でられ待ちをしたりするのが、本当にかわいいと感じる瞬間だ。
その日のわたしは、会議でうまく話せなかったことを引きずっていたのだが、ムギの重さを感じているうちに、なぜかそれがどうでもよくなっていた。猫に救われているのか、単純に眠かっただけなのか、今でも判断がつかない。

帰ってくるといつもお出迎えしてくれるので、ひとりじゃないと実感できる。
その感覚は、一人暮らしの楽しみとして語られることが多いけれど、わたしにとってはもう少し静かなものだ。楽しい、というより、「整う」に近い。朝、出かける前にムギの顔を見て、夜、帰ってきてまたその顔を見る。それだけで一日が、なんとなくちゃんと始まって、ちゃんと終わった気がする。

ペットとの生活は、劇的なものではないかもしれない。でも、毎日少しずつ積み重なっていく小さな楽しみが、一人暮らしという時間をじわりと豊かにしていく。今夜もムギは玄関で、一歩手前のところに立って待っているはずだ。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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