
午後の光が斜めに差し込んでくる時間帯、リビングの床に子供とペットが並んで座っている光景は、どこか絵画のように静かで、でも確かに生きていた。
うちの娘が初めてうちの猫「ムーン」に触れたのは、彼女がまだ2歳になったばかりの冬のことだった。ムーンはロシアンブルーで、普段はソファの隅でうとうとしていることが多い。その日も、娘がよちよちと近づいてくるのに気づかないまま、うっかり鼻先に娘の指が触れてしまった。ムーンは驚いて目を丸くしたけれど、逃げなかった。娘も驚いて、でも笑った。その笑い声がまた少しムーンをびくっとさせたのが、なんとも微笑ましかった。
ペットとの生活は、子供に何かを「教える」というより、子供が何かを「感じとる」時間を作ってくれるものだと思う。言葉で説明できないことが、ふれあいの中にある。たとえば、体温。猫や犬の温かさは、ぬいぐるみとは違う。息をしていて、心臓が動いていて、その振動が手のひらに伝わってくる。子供はそれを、ちゃんと受け取っている。
娘が4歳になった頃、ムーンのゴロゴロという喉の音を「音楽みたい」と言った。確かにそうかもしれない。低くて規則的で、でも完全には一定じゃない。あの音に包まれていると、なんとなく安心する感覚は、大人だって同じだ。
子供とペットが並んでいる空間には、独特の香りがある。日向の匂いと、動物の体温が混ざったような、少し甘くて少し野性的な空気。うちで使っているペット用のケアシャンプーは「フォレストリーフ」というブランドのもので、ヒノキとラベンダーをベースにした香りが気に入っている。それが部屋にうっすら漂っていると、なぜか気持ちが落ち着く。
子供の頃、私は犬を飼っていた。柴犬で、名前はクロ。ありきたりな名前だけど、クロはありきたりじゃなかった。私が学校から帰ると、必ず玄関まで走ってきて、しっぽをあまりにも激しく振るせいで、自分でよろけていた。あのよろけ方が好きだった。全力で喜んでいる生き物の姿は、子供心に何かを教えてくれていたのだと、今になって思う。
ペットとのふれあいは、子供に「やさしくすること」を体で覚えさせてくれる。強く触ると嫌がる。ゆっくり近づくと受け入れてくれる。言葉じゃなくて、反応で学ぶ。それは、人間関係の根っこにある何かと、きっとつながっている。
娘は今、ムーンのブラッシングを自分でやりたがる。最初は力の加減がわからなくて、ムーンが迷惑そうな顔をしていたけれど、今は二人の間にちゃんとしたリズムができている。娘がブラシを動かすたびに、ムーンは目を細める。その仕草を見るたびに、この子はちゃんと伝わっているんだと感じる。
ペットとの生活は、毎日が同じようで、でも毎日少しずつ違う。ムーンが今日はいつもより甘えてくるとか、娘が珍しく静かにそばに座っているとか。そういう小さな変化の積み重ねが、日々の記憶になっていく。
大げさな言葉はいらない。ただ、一緒にいる時間がある。それだけで、子供の中に何かが育っていく。やさしさとか、命への敬意とか、そういう言葉で括るには少し大きすぎるものが、ふれあいの中にそっと宿っている気がする。
冬の午後、窓から差し込む光の中で、娘とムーンが並んでうとうとしていた。どちらが先に眠ったのかは、わからなかった。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

コメント