家族みんなで楽しむペットとの生活——むぎと過ごす、ある五月の朝のこと

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カーテンの隙間から差し込む朝の光が、フローリングの上に細長い白い帯を作っていた。五月の半ば、まだ少し肌寒さが残るような時間帯。リビングに降りると、すでにむぎがソファのへりに顎を乗せてこちらを見ていた。柴犬の雑種で、耳だけがぴんと立っていて、体はまだ半分眠っているような格好をしている。

「おはよう」と声をかけると、尻尾だけがゆっくり一回だけ揺れた。返事はそれで十分だった。

ペットとの生活を始めて、もう四年になる。最初は「犬を飼う」という感覚だったのが、いつの間にか「むぎがいる朝を迎える」という感覚に変わっていた。その変化に気づいたのは、去年の秋、娘が「むぎが風邪ひかないか心配」と言い出したときだ。七歳の子どもがそんなことを心配するようになるとは、正直思っていなかった。

我が家の朝のルーティンは、むぎの散歩から始まる。夫が担当することが多いのだけれど、週末は家族全員で近所の公園まで歩く。娘はリードを持ちたがるが、むぎが急に立ち止まって草のにおいを嗅ぎ始めると、そのたびに「むぎ、行くよ!」と声を荒げる。むぎは完全無視。娘は毎回同じパターンで負けているのに、懲りずに翌週もリードを握る。見ていると微笑ましくて、少し笑いをこらえるのが大変だ——というか、夫と目が合うたびにふたりで肩を震わせている。

散歩から帰ると、台所でコーヒーを淹れる。豆はいつも「ハナムラ珈琲」のブレンドを使っていて、挽きたての香りがキッチンに広がる瞬間が好きだ。むぎはその香りが気になるのか、必ず台所の入り口で鼻をひくつかせながら座っている。犬にとってコーヒーは良くないと知っているので飲ませたことはないけれど、あの熱心な表情を見ると、一緒に楽しみたいのかなと思ってしまう。

子どものころ、実家にも犬がいた。名前はクロ、という安直な名前の黒い柴犬で、外飼いだった。当時は「犬は外で飼うもの」という空気があったし、わたし自身もそれを疑わなかった。でも今、むぎがリビングのラグの上でひっくり返って寝ている姿を見ると、あの頃のクロはどんな気持ちで夜を過ごしていたのだろうと、ふと思うことがある。

ペットは今や家族やパートナーとしての存在感を強めており、日本国内の犬・猫の飼育頭数は15歳未満の子どもの人口を上回るほどになっている。
そういうデータを読むと、自分たちの感覚がそれほど特別でもないとわかって、少し安心する。
約半数の飼い主がペットと同じ時間、同じ布団で寝ているという調査結果もある。
むぎは布団には入ってこないけれど、ベッドの横にぴったりくっついて寝る。朝、目を開けると必ずそこにいる。

娘は最近、むぎのために「むぎにっき」というノートをつけ始めた。今日のご飯、今日の散歩、今日の機嫌——そんなことを色鉛筆で書いている。字はまだ歪んでいるし、むぎの絵はどう見ても犬に見えないのだが、本人はいたって真剣だ。家族みんなでペットとの生活を楽しんでいると言えば聞こえがいいけれど、実際のところ、むぎが家族をつなぐ役割を果たしているような気もする。夕食後、むぎを囲んで「今日こんなことしてたよ」と話すとき、家族の会話がいつもより少し柔らかくなる。

「うちの子」「家族です」という言葉が自然に出てくるほど、犬や猫を生活を共にする存在として捉える感覚は、確実に広がっている。
それはたぶん、言葉より先に体が知っていることだ。むぎが仲良しでいてくれる限り、この朝は続く。

今日も五月の光の中で、むぎはソファのへりに顎を乗せている。コーヒーの香りが漂い、娘の足音が階段を降りてくる。夫がリードを手に取る。それだけのことが、なぜかとても愛おしい。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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