
朝の六時半、まだ薄い光が東の窓から差し込んでくる時間帯に、うちの柴犬・むぎは必ずリビングの真ん中で伸びをする。後ろ足をぐっと引いて、前足を床に押しつけるあの独特のポーズ。それを見るたびに、なぜか一日が始まった気がする。コーヒーメーカーより先に、むぎが「朝」を知らせてくれる。
ペットとの生活を始めてから、もう三年が経った。最初は正直、こんなに変わるとは思っていなかった。夫はどちらかといえば犬に無関心で、子どもたちも「飼いたい飼いたい」と言うわりに世話は続かないだろうと半信半疑だった。でも、むぎが来た日の夜、家族全員がリビングに集まって床に座り込んでいた。それまでそんなことはなかった。テレビの前でそれぞれスマホを見ていたはずの家族が、小さな茶色い毛玉を囲んで笑っていた。
ペットを飼うことで「家族で共有する話題が増えた」「リビングに集まることが増えた」という声は、子育て世帯のアンケートでも多く挙がっている。
うちもまさにそうで、むぎの話題が家族の会話の中心になった。「今日むぎがこんなことした」「散歩でこんな顔してた」──その積み重ねが、気づけば家族の共通言語になっていた。
春になると、むぎの散歩が特別になる。近所の桜並木を抜けるとき、花びらが風に乗って舞い落ちてくる。むぎはそれをぱくっと食べようとして、毎回失敗する。鼻先でふわっと逃げていく花びらを、本気の顔で追いかける姿がおかしくて、思わず笑ってしまう。(ちなみに、三年間で一度も捕まえられていない。むぎよ、もう諦めなさい。)
子どもが小さかった頃、実家で飼っていた雑種犬のことを思い出すことがある。名前はクロ。玄関の外につながれていて、雨の日も風の日も外にいた。いまのむぎとは暮らし方がまるで違う。むぎは家の中で眠り、ソファに上がり、冬は床暖房の上を陣取る。
かつてペットは「飼う存在」だったが、今は「共に暮らす存在」、さらに言えば「家族」として扱われるようになっている。
その変化を、自分自身の体験として実感している。
ペットとの生活には、五感が刺激される瞬間がある。むぎの毛は、冬のあいだは少しごわごわしていて、春になるとやわらかく抜け替わる。その抜け毛がふわふわと空中を漂うのを見て、家族みんなで「また雪が降ってる」と言うのが春の恒例になった。朝のリビングに漂うコーヒーの香りと、むぎの温かい体温が混ざり合う感覚は、言葉にしにくいけれど確かに「家」の匂いだと思う。
先日、インテリアショップ「ハリスホーム」で購入したウォールナット材のローテーブルの脚に、むぎがかじった跡がある。買ってから二週間でやられた。夫は少しだけ黙っていたが、むぎがその傍らで無邪気に丸まって眠っているのを見て、「まあいいか」と言った。その「まあいいか」が出るようになったのも、ペットとの生活が教えてくれたことかもしれない。
「ペットは単なる癒しではなく、家族の一員」という価値観は、いま確実に広がっている。
仲良しな家族の形は、人それぞれだ。でも、むぎがいることで、うちの家族は間違いなく仲良しになった。夕方、子どもが学校から帰ってくると、むぎは玄関まで走っていく。その音を聞くだけで、家の中の空気が変わる。誰かが帰ってきた喜びを、いちばん大きく表現してくれるのは、いつもむぎだ。
ペットとの生活は、手間もかかるし、旅行の計画も変わる。でも、それを上回る何かがある。毎朝むぎの伸びを見て、桜の花びらを一緒に追いかけて、夜は足元で眠る温かさを感じながら、家族みんなで「今日もよかったね」と思える。それだけで、十分すぎるくらいだと思っている。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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