ペットと育つ、子供の成長記録——ふれあいが教えてくれたこと

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八月の終わり、夕方の西日がリビングの床に長い影を落とす時間帯のことだった。うちの娘・ひなた(当時五歳)が、廊下をぱたぱたと走り抜けて、そのままソファの上に転がった。そこにはすでに先客がいた。我が家のミニチュアシュナウザー、「むぎ」だ。むぎは驚いた様子もなく、ふんっと鼻を鳴らして、ひなたの腕の中に収まった。その光景を台所から眺めながら、ああ、この子たちはもう言葉なんていらないんだな、とぼんやり思った。

ペットとの生活を始めたのは、ひなたが三歳になる少し前のこと。正直なところ、最初は不安のほうが大きかった。子供とペットが一緒にいることで、何かトラブルが起きないか。アレルギーは。ひっかかれたら。でも今になって振り返ると、あの心配の九割は杞憂だった——残りの一割は、むぎがひなたの大事なぬいぐるみを三個ほど「リデザイン」したことに使い果たした。

むぎが家に来た最初の週、ひなたはとにかくそばを離れなかった。ごはんを食べるときも、昼寝するときも、むぎのそばに座り込んで、小さな手でそっと背中を撫でていた。その触感が気持ちよかったのか、むぎはうとうとしながら、ときどきひなたの指先をぺろりと舐めた。ひなたはそのたびに「つめたい!」と声を上げて笑った。子供の笑い声と犬のため息が混ざり合う、あの静かな午後の音は、今でもはっきりと耳の奥に残っている。

子供の成長というのは、親が意識しているところではなく、ふとした瞬間に現れるものだ。ひなたが四歳になった春、むぎが散歩から帰ってきて足を拭かれるのを嫌がる場面があった。いつもなら私が格闘するところを、ひなたが「むぎ、ちゃんとしてあげるね」と言いながら、小さなタオルを持ってきた。むぎは観念したように大人しくなった。娘に言われると聞くのか、と少し複雑な気持ちになったのは内緒にしておく。

ペットとのふれあいが子供に与えるものは、責任感だけじゃない。共感する力、待つこと、相手のペースを尊重すること——そういった、言葉で教えようとすると途端に難しくなるものを、むぎはただそこにいるだけで教えてくれた。ひなたが泣いているとき、むぎは静かに隣に来て、ちょこんと座る。何もしない。ただいる。それだけで、ひなたの泣き声が少しずつ落ち着いていく。その様子を見るたびに、私のほうがこの犬から学んでいるんじゃないかと思う。

インテリアにこだわる友人が、「ノルディクラフト」というブランドのペット用ラグを勧めてくれたことがある。洗えて、毛が絡まりにくくて、見た目もすっきりしている。そのラグをリビングに敷いてから、むぎとひなたの「定位置」がそこに定まった。朝の光が窓から差し込むと、二人はそのラグの上でぬくぬくと丸まっている。夏の朝でも、その角だけは不思議と穏やかな温度が漂っている気がする。

ペットとの生活は、家族の時間の密度を変える。テレビをつけっぱなしにしていた夜が、むぎの様子を見ながら話す夜に変わった。「今日むぎ、こんなことしてたよ」という小さな報告が、食卓の会話を増やした。ひなたが幼稚園で覚えてきた歌を、むぎに向かって歌ってあげている姿を見たとき、子供はこんなふうに「誰かのために何かをする」ことを覚えていくんだと、静かに胸が動いた。

あの夏の夕方、ソファで丸まっていたふたりは今も変わらず仲良しだ。ひなたは六歳になり、むぎは四歳になった。子供の成長とともに、むぎも確かに変わってきた。走り回る時間が少し落ち着いて、ひなたの隣でじっとしている時間が増えた。それがなんとなく、お互いに合わせているように見えて、ほんの少し泣きそうになった。ペットとの生活は、子供を育てながら、家族全員が育てられている時間なのかもしれない。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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