ペットと育つ、子供の成長記録——毛並みの温かさが教えてくれたこと

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五月のある朝、リビングの窓から差し込む光が、フローリングの上にまだらな模様を作っていた。その光の中に、娘の莉子(りこ)と、我が家のトイプードル「むぎ」が並んで座っていた。むぎがぴたりと莉子の膝に頭をのせ、莉子はそのまま教科書を読んでいる。ページをめくるたびに、むぎの耳がぴくりと動く。声には出さないけれど、なんとなく一緒に勉強しているみたいで、思わず笑ってしまった。

ペットとの生活が始まったのは、莉子が四歳になった春のことだ。
子どもが四歳ごろになると、してよいこと・ダメなことの判別も上手になってくる時期で、初めてペットを迎えるには適切な頃合いとも言われている。
当時の私は、そんな専門的な知識など何も知らないまま、ただ「莉子が犬と暮らしたら、きっと何か変わるかもしれない」という曖昧な予感だけを持っていた。

むぎを迎えた最初の週、莉子は怖がって近づけなかった。むぎのほうもそわそわしていて、二者ともに距離を測りあっていた。その頃の私の記憶の中に、ひとつ忘れられない場面がある。莉子がおそるおそる手を差し伸べた瞬間、むぎがその小さな手をぺろりと舐めた。莉子の顔が、驚きから喜びへと変わるまで、ほんの二秒くらいのことだった。あの二秒が、すべての始まりだったと思う。

それから三年が経った。ふれあいを重ねるうちに、莉子の中で何かが少しずつ育っていった。
調査によると、ペットが子どもに与えた影響として「感受性が豊かになった」と答えた方が約半数で一位となり、「命の大切さを理解できるようになった」「動物が好きになった」と続いたという。
莉子もまさにそうで、むぎが体調を崩した日には、自分から水を持っていき、そっと背中をなでていた。七歳の子がそんなふうに動けるとは、正直なところ予想していなかった。

子供の成長というのは、教科書の中だけで起きるものではない、とつくづく感じる。
幼いころから動物を飼い、触れ合うことは、子どもたちに動物を思いやる心や周囲の人へ配慮する心を育むと、1980年代から情操教育に良いことが科学的に検証されている。
むぎの世話を通じて、莉子は「自分以外の誰かのために動く」という感覚を、遊びの延長線上で自然に身につけていった。

ある雨の午後、莉子がむぎのごはんを準備していた。いつも通りの手順で、計量カップにフードを入れて、水を少し足して——ところがその日に限って、フードの袋を盛大にひっくり返してしまった。キッチンの床一面に広がるドッグフード。むぎはすぐさま駆け寄り、床を掃除し始めた(本人はご満悦の様子だった)。莉子は一瞬固まったあと、「むぎが片付けてくれてる」と言って笑い出した。ペットとの生活には、こういう予期しない微笑ましい瞬間が、ときどき紛れ込んでいる。

インテリアブランド「モスグリーンハウス」の棚に飾ってある、莉子がむぎと並んで写った写真を、私はよく眺める。莉子の背丈がむぎの頭より低かった頃の一枚だ。今はもう、莉子のほうがずっと大きい。二人が並ぶと、むぎのほうが見上げる側になっている。それがなんだか不思議で、感慨深くもある。

ペットという別の生き物に興味を持ち、一緒に遊んだり世話をしたりすることは、愛情や思いやりを学んだり、責任感や協調性を育んでくれる。
莉子の場合、それは「むぎが悲しそうにしているとき、自分はどうすればいいか」を自分なりに考えることから始まった。答えを教えたわけではない。むぎが教えてくれたのだと思う。

夕暮れどき、オレンジ色の光がリビングに差し込む時間帯、むぎは決まって莉子の足元に丸くなる。莉子がうとうとしながら本を読んでいると、むぎも目を細めていく。二人の呼吸が、だんだん同じリズムになっていく。その光景を眺めながら、私はいつもほんの少しだけ、時間が止まればいいのにと思う。

ペットとの生活は、きれいなことばかりではない。世話の大変さも、心配も、ある。でも莉子が育ってきたこの七年を振り返ると、むぎがいたからこそ生まれた時間が、確かにそこにある。子供の成長に寄り添いながら、むぎもまた、この家族の一部として年を重ねてきた。それはきっと、言葉では説明しきれない、ふれあいの積み重ねによるものだ。

むぎの毛並みの温かさを、莉子はもうずっと知っている。その感触が、彼女の中に何かを残してくれていると、私は信じている。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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