
梅雨の晴れ間というのは、どうしてこんなに特別な光をもたらすのだろう。六月の午後三時すぎ、窓から差し込む柔らかな西日が、フローリングの上でうとうとしている犬の背中をあたたかく照らしていた。トイプードルのムギは、もう七歳になる。耳のあたりがほんの少しだけ白くなってきたけれど、娘の帰宅チャイムを聞くと今でも玄関まで全力で走っていく。
娘が五歳のとき、我が家にムギがやってきた。あの日、段ボール箱の中でまんまるく震えていた小さな命を、娘はそっと両手で包み込んだ。「あったかい」と彼女はつぶやいた。その声が、今でも耳の奥に残っている。ペットとの生活というのは、そういう記憶の積み重ねでできている。
子供の成長とペットの存在は、想像以上に深く絡み合っている。娘は小学三年生になった今、ムギのごはんの準備を自分から買って出るようになった。計量カップで正確にフードを測り、水を新鮮なものに替え、食べ終わったあとの食器を丁寧に洗う。以前は「めんどくさい」と言っていた歯みがきも、ムギの歯みがきシートを使うついでに自分も磨くようになった。ペットとのふれあいが、日々の習慣を自然な形で育てていく。
ムギとの朝のお散歩も、娘の大切な時間だ。近所の「ミドリ川緑道」と私たちが勝手に呼んでいる小道を、二人並んでゆっくり歩く。梅雨明け前のこの季節、草の香りが濃くて、足元には小さな水たまりが残っていることもある。ムギは必ず一度立ち止まって、その水たまりをじっと見つめる。飲もうとするのを娘が「だめだよ」と言って引っ張る。その小さなやりとりが、毎朝繰り返される。
先日、少し笑えることがあった。娘がムギに「おすわり」を教えようとして、自分が先にお手本を見せようとしゃがみ込んだのだ。「こうやってするんだよ」と言いながら、娘自身がぺたんと床に座ってしまった。ムギは首をかしげ、娘の顔をじっと見て、それからなぜか一緒に座った。主従関係がどちらなのか、少々あやしい。
ふれあいを通じて、子供は命の重さを学ぶ。ムギが体調を崩したとき、娘は一晩中そばを離れなかった。翌朝、熱が下がったムギが尻尾を振ったとき、娘の目に光るものがあった。言葉にならない安堵と喜びが、その表情に滲んでいた。あのとき娘が感じたものは、どんな教科書にも書かれていない何かだったと思う。
ペットとの生活は、子供に「待つこと」も教えてくれる。ムギが眠っているとき、娘は声をひそめる。遊びたい気持ちを抑えて、静かにそばで本を読んでいる。相手の都合を思いやる感覚が、こんなふうにして育まれていくのかもしれない。
子供の成長を見ていると、ペットとのふれあいがいかに豊かな感情を引き出すかを実感する。喜び、心配、責任感、そして愛情。そのどれもが、ムギという存在を通じて娘の中に根を張ってきた。七歳のムギと十二歳になる娘が、これからもこの家の西日の中で、一緒にうとうとしていてくれたらいい。そんなことを、今日もそっと願っている。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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