
梅雨の走りにしては、今日は少し蒸し暑かった。六月の夕方、駅から徒歩八分のアパートへと続くアスファルトはまだ熱を帯びていて、コンビニの袋が手に食い込むたびに、早く帰りたいという気持ちが強くなる。
玄関のドアを開けた瞬間、空気が変わる。
「ただいま」と言う相手が、いる。
猫のムギは、いつも玄関の三和土(たたき)の手前、ちょうどドアが開く軌跡の外側に座って待っている。賢いのか、それとも体で覚えたのか、ドアに潰されたことは一度もない。ただ、今日は少しだけ位置がずれていて、私が靴を脱ごうとしたとき、うっかりムギの前足を踏みかけた。「ニャッ」という短い抗議の声。こちらが謝る前に、ムギはすでに背を向けて部屋の奥へ歩いていた。……どうやら私が悪いらしい。
一人暮らしを始めて三年目に、ムギを迎えた。最初は「猫を飼う」という決断がこんなにも日常を変えるとは思っていなかった。変わったのは、帰宅の意味だった。
以前は仕事が終わっても、どこかで時間を潰してから帰ることが多かった。駅ビルをぶらぶらしたり、「ソラマチ珈琲」というチェーン店でもない小さな喫茶店に寄ったり。帰っても誰もいない部屋に急ぐ理由がなかった。でも今は違う。早く帰りたい。それだけで、一日の終わりの輪郭がはっきりする。
ペットとの生活が持つ力は、こういうところに宿っている。大げさな感動ではなく、ただ「帰る場所に誰かがいる」という、それだけのことが、思いのほか深いところまで届く。
ソファに腰を下ろすと、ムギがすり寄ってくる。さっきの一件はもう忘れたらしい。背中の毛は夕方の光の中でわずかに温かみを帯びて見え、指先で触れると、細い振動が伝わってくる。ゴロゴロという音は、耳というより胸で聞こえる気がした。
子どもの頃、実家に犬がいた。名前はクロ、雑種で、いつも縁側で丸くなっていた。学校から帰ると尻尾を振って迎えてくれた。その感覚を大人になってから忘れていたのだと、ムギと暮らし始めてようやく気づいた。迎えられることの、あの安堵。
一人暮らしの楽しみは、自由であることだと思っていた。誰にも合わせなくていい、好きな時間に食べて、好きな映画を観て。それは今も変わらないけれど、ペットが加わってから、その自由の質が少し変わった。自分だけのための自由から、誰かと共にある自由へ。
夜、ムギはだいたい私の足元で眠る。窓の外では雨が降り始めていて、雨粒がガラスを叩く音が、部屋の静けさをかえって際立たせる。湿った夜の空気の匂いと、ムギの体温がそっと足に伝わる感触。これが今の私の、一日の終わり方だ。
ペットとの生活は、手間もかかる。エサの時間、トイレの掃除、病院の予約。でもその手間が、一人暮らしの時間に小さなリズムを刻んでくれる。規則性が、生活を支えていた。
何かを「待っている存在」がいるということは、こんなにも人を前に向かせるのかと、今でも少し驚いている。ムギは私の帰りを待っている。それだけで、どんなに疲れた日も、足は自然とアパートへ向かう。
梅雨の蒸し暑さも、コンビニ袋の重さも、玄関を開けた瞬間に少し軽くなる。「ただいま」が、ちゃんと届く場所がある。それが今の私にとっての、一番の楽しみかもしれない。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:UETSUJI TOSHIYUKI

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